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1997.12.29

コミック・マーケットに行った。いわゆるコミケである。一年に二回行われ、それぞれ夏コミ・冬コミと呼ばれている。何を隠そうコミケには私これで3回目。去年の冬コミからデビューしたのだ。

会場は有明ビッグ・サイト。2万近いサークルが同人誌を売り、客は一日で10万人以上。「日本のハロウィン」とも言える底辺スレスレのコスプレ。もう単なる「オタクのマンガ祭り」ではない。

私は、コミケに通って8年、自分も出店したキャリアを持つ友人に連れていって貰った。イベントは10時スタートなのに、彼は朝6時半にはもう現地に着いている。そうしないと人気のあるサークルの本が売り切れてしまうからなのだそうだ。(同人誌ゆえ、発行部数が少ないのだ。)

私も去年朝7時に一緒に行ったんだけど、すでに会場に2万人(!)並んでいた。年の暮れ、そんなに早い時間の電車にはサラリーマンの姿はなく、車両には事前に売り出されたコミケのカタログ本を抱えるオタクだけ・・・。入場を待てずに駅のトイレで着替えたコスプレーヤーたち。この世で一番現実味の薄い空間が広がる・・・。会場にはこの人たちみたいなのが10万人か、果たして正気を保てるだろうか・・・。

そんな不安は消し飛んでしまったということは、私が3回も通っている事からお分かりであろう。最初は側で様子を見ているだけだった私。せっかく来たのだから気分を味わいたくて、「さすがコミケ!と言われるようなすんごいヤツが欲しい」と友人にリクエスト。「すんごいってどんな風に?」と聞かれ、「う〜ん、わかんないけど、メチャクチャエログロなヤツ!」!!

彼の勧めたものを一冊手にとってみたら、すっかりハマってしまった。ハッキリ言って、口でも言えないし、文章にも書けないような内容の本ばかりなので、残念ながらどこがどんな風に良いのか説明が出来ないけど。ちょっと教えちゃうと、ピカチュウが雷に打たれたショックで人間の少年になって、あんなことやこんなこと・・・。ひぃぃ。

買った後は、家に持って帰るのをためらう。隠し場所を考えてしまう。家族に見られたら「あんた、そーいう趣味だったの・・・」と軽蔑されそうな本ばかり選んでしまった。今回も。

さて、コミケのもう一つの楽しみは、華麗なるコスプレ

こちらも最初あんまり興味なかったんだけど、通りすがりにブラック・ジャックのコスプレーヤーに会い、思わず「あっ、ブラック・ジャックだ!」と叫んだら、彼がピッとメスを出しポーズを取ってくれた。

自分のキャラクターを演じつづけるこのプロ根性?!宇宙船のような近未来的な建物の中、ふと気が付くと、ルパンV世やドロンジョやガンダムたちが闊歩している。こっちがホントの世界なのか・・・とさえ感じてしまった。そっからハマった。

コスプレからもその年の流行がうかがえる。やっぱ今年はこれでしょう。

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ポケモンのコスプレでしたっ。


1997,12.28

私の趣味は盗み聞き。盗聴じゃないよ!ユーミンのように喫茶店やファミレスで聞き耳を立て、周囲の会話を盗み聞きネタを探す。我ながらイヤな女だ。

今日は最高のネタが入った。20歳くらいのカップルの会話、場所は東京駅だ。

<以下再現>

男 「今月は5日も会えたね」

女 「え〜、『5日しかぁ』でしょ。もっと近くに住んでたら一杯会えるのにな・・・」

(どうやら二人は遠距離恋愛らしい。)

男 「そんなコト言っちゃだめだよ。一年に一回しか会えない人だっているんだから」

女 「だあれ?」

(ん?一年に一回?!も、もしや・・・)

男 「それはね・・・」

(来るぞ、来るぞ)

「七夕さまだよ」

ぶわぁーっ、やっぱり来たぁー!!てか笑わすなよ、おい。(笑)

ひょっとしてひょっとしたら彼はギャグで言ったのかもしれないと思い直し、私は用心深く後ろを振り向いた。しかし、彼女は彼のセリフの感動して、彼の胸に顔を埋めていた。あんた、何で笑わないの?と思いながら、若い恋愛がちょっぴり懐かしくなった。


1997.12.27

私のプロバイダは、アドレスから判るように、「リムネット」である。HPの容量を増やす手続きのついでに、住所変更を行った。電子メールで。

初めに、私からリムネットに空のメールを送り、その直後リムネットから「変更手続きの見本用紙」のようなモノが返信されてくる。記入例を見ながら、登録時の内容を書き込み、新たに変更する箇所だけチェックを付け、記入し送り返すのである。な〜んだ、簡単。マニュアル化されていて判りやすい。

郵便番号・住所・電話番号、とリズミカルに記入していく私。ふと、手が止まってしまった。

変更個所の欄に、「性別」とある。・・・? 確か、登録者本人は変更できないはず。じゃ、これって・・・。

さすが、インターネットのプロバイダ、性別の変更くらいでケチな事は言わないのだ!こんなとこまで世界の最先端行ってんだぁ。すっごい〜な〜。


1997.12.25  Merry X'mas!!

クリスマスと言えども、「はーい 朝刊」はある。しかも今日は取材に出た。

東京・神田に全国で初めて自費出版専門の書店がオープンした。その名も「自費出版館」。20坪ほどの店内に並べられた3,000冊の本。いずれも自費出版ならではと思わせるものばかり。ここ数年ブームの自分史。「主婦の目から見た福祉国家スウェーデン」などの一応旅行記。俳句や料理などの趣味の本。銀行員が経験を元に書いた金融論。さらにソニーやNECといった大企業の社史まで置いてある。(世間には、社史マニアという人がいるらしい・・・)

この店では、年間3万円の販売委託料を払えば、誰でも棚に自分の本を置いてもらう事が出来る。運良くその本が売れれば、売り上げは全て自分のモノだ。私が取材している間にも、本を持ち込んで来るお客さんがたくさん来た。彼らにしてみれば、元々売り上げは度外視、それより自分の書いた本が棚に並ぶ光景を見て感激していた。

店長のお話によると、「自費出版の良さは、ストレートな表現」だそうだ。そうだよね。誰にも規制される訳ではないし、自分の書きたい事がそのまま書けるんだから。

さて、番組ではこの書店を紹介した後、こんな会話が続いた。

<以下番組再現>

原元 「浜崎さん、開店早々(このお店で)一番売れたのは、どんな本だと思いますか?」

浜崎キャスター 「さぁ・・・」

原元 「実は、年配の方が『今だから書ける』と、若い頃の自分の恋愛体験を赤裸々に綴った私小説なのです。」

浜崎キャスター 「かなり激しそうですね。」

原元 「浜崎さんも書いてみたらいかがですか?」

浜崎キャスター「原元さんこそ、今すぐにでも書けるじゃ・・・」

原元 「今夜はこの辺で、失礼しますっ!!」

毎回「今日の放送でクビかな」と思いながらも、なんとか一年乗り切ってしまった。年内は今夜が最後の放送、来年も見てね!


1997.12.24  X'mas Eve!!

クリスマス・イブ、街を歩くとやたらとカップルばかり目に付く。しかし、私は一人。取材のアポ取りだの、衣裳の交換だの、いつも通りの生活。

路チュー(注:道路でキスだよ)してるカップルの脇をでっかい荷物を抱えながら銀座の街を走り回る私。ちょっと空しい。しかも、あんまりお腹が空いたもんだから、外食しようとしたのに、レストランは超満員。一人ポツンと列に並ぶのもなんか恥ずかしい・・・。

しょうがないから、こういう時は「必殺!自分より不幸な人探し」。私は30分待ってやっと座れたイタ飯屋さんの店内を観察。さすがに私のようにオンナ盛り(?)で一人という客はいなかったけど、同性の友達と食事している人は結構多い。でもなんだか、いつもと雰囲気が違う・・・。そうか、私は一つの法則を発見した!!

クリスマスに同性と過ごす人たちは、普段より「似た者度」が強い、のだ。つまり、カップルになれなかった人は、自分と同じような人間と過ごすということだ。

なるほど、気付いてみれば年齢は勿論、髪型や服のセンス、しゃべり方、どこか似ている・・・。お互い「こいつなら・・・」と今夜誘ったのだろう。

私はニヤニヤしながら観察を続けた。女の子同志、男の子同志、みんな相手を通して自分を見てるんだなぁなどと考えながら。ところが、私の視線は斜め後ろの席に座っている二人組みに釘付けになってしまった。

その二人は似ている・・・、今思い付いたばかりの「クリスマスは似た者同志」の法則に当てはまる。しかし、問題はその二人が男同志なのか、女同志なのかということだ。もっと細かく言うと「おじさん同志」なのか、「おばさん同志」なのか・・・。

ショートカットにノーメイク、黒のパンツにショートブーツ、おまけに声まで中途半端に低い。これでは性別を判別する事が不可能だ。う〜ん、困った。これがもし男性と女性だったら、私の法則は崩れ去ってしまうではないか。

クリスマス・ディナー・セットとかいうのを食べながら、私は1時間もその二人を観察しつづけた。おかげで味なんか覚えていない。こうなったら最後まで見届けてやるぞ!と聖夜に誓ったその瞬間、例の二人が席を立った。レジに向かう。これはチャンス!

二人の出した財布は、フェラガモ。小銭入れががま口タイプになっている。やった、二人とも女性だったんだ!

私は自分の法則が守られた事、そして、その「似た者おばさん」がおそろいの財布を持ってた事に「そこまで一緒か!」と満足して店を後にした。ちょっぴり幸せ。


1997.12.22

整体医院に行った。山形県まで。なんでわざわざそんな遠くに、とよく言われるんだけど、知る人ぞ知る名医がいるのである。東京から車で4時間くらいかな、米沢市内の天王川のほとりにその医院はある。その町はこのお医者さんのおかげで病人がいない、という程の評判を聞いて全国から患者が駆けつける。

マッサージに目の無い私!ここに通い始めたのは中学生の時からだ。以来、半年ごとに通っては体の歪みや疲れを取ってもらう。

先生はもう70歳過ぎのおじいちゃんなのだけれど、勿論自分も健康体。難しい道具なんかは使わず、患者たちの体をものすごい力でねじる、伸ばす、蹴っ飛ばす!相手と呼吸を合わせて、波長が合った瞬間に、ポンッと骨を治すのだ。

不思議だよね。患者にはかなりのお年寄りもいて、普通ならこんなに思いっきり蹴られたら死んじゃうところだけど、終わるとみんなスクっと立ち上がり、スタスタ歩いて帰る。私の父なんか単純だから、どんなにひどいギックリ腰でもここに来ただけで治っちゃう。「あっ、体が軽くなった。先生、走れるようになりました。ほら!」とホントに診察室を走り回ってしまう。そこまでやると「さくら」のようで、見てるこっちが恥ずかしい。まあ、治りゃいいけどさ。

自分の背中や首がボキボキ鳴る音を聞きながら、気や波長の神秘に感心。う〜ん、これで安心して年を越せそうだ・・・。痛てて。


1997.12.20

なんきん画伯とお食事!「飲み過ぎシール」や「たけしの元気が出るテレビ」 オープニング・アニメーションでおなじみの先生なのですが、昔CBC「ミックスパイください」で彼の個展を取材させて頂いたことがあるのです。

現在は、CBCのキャンペーンで「ぱっかウケCBC」というアンテナを頭に乗せたしゃべる馬を画伯がデザインした縁もあり、4年振りに再会。しかし、「お久しぶりです」と挨拶した私を、画伯は覚えていなかった。そんなもんよね・・・。

画伯の絵やお芝居の話、お互いのホームページ、私のまんが喫茶を開く夢などを語った。私はカクテルなんぞ飲み、結構上機嫌だったけど、画伯はまだオシゴトが残ってるので、コーヒーだけ。一日20杯も飲むそうだ。

さて、画伯の印象はと言うと、「一般人の持つ、芸術家のイメージ通り」でした。ナイーブとかシャイとかの表現がピッタリ。伏し目がちで、興奮すると早口になって、ちょっとそわそわした感じ。ところが、写真を撮る時には突然殻を脱ぎ捨てる。(それが上の写真なんですけど、分かるかな?)

お互いのメールアドレスとホームページのアドレスを交換してお別れ。メールってこういう時便利だよなぁとつくづく思う。だって、また話したいと思うとフツーは電話番号を聞くでしょ、でも、聞きにくいし教えにくいよね。それがメールアドレスだと気軽に聞いたり教えたり出来るんだよねー。

家に帰って、早速なんきん画伯のホームページを閲覧。しかし、「部屋数を増やし過ぎて、自分でもどこに何が入ってるか分からないほど・・・」と語ってたように、難解・・・!!絵はあんなに可愛いけど、画伯の頭ん中はこんなになってたのかぁと思わせてくれます。キュートさとおどろおどろしさのミスマッチが最高!ははは。

なんきん画伯のホームページアドレス SOUL of NANKIN <http://www.stw.or.jp/nankin>


1997.12.18

「はーい 朝刊」で浜崎さんとコンビを組んで、もう一年半。彼のアドリブ変化球(隠し玉と読んでいる)には慣れたと思ってたのに、今夜はちょっと失敗。言う間を与えてあげなかったのだ・・・。実際放送したのはこんな会話だった。

<以下番組再現>

原元 「東京都水道局が主催した懇親会で出された、高い日本酒や土産が違法という判決が出ました。」

浜崎キャスター 「どうやら大吟醸を飲んでいたようですね。」

原元 「はい。5,300円もする大吟醸を15本も。さらに、懇親会が終わった後の夜食代、佃煮などの土産代もあったそうです。」

浜崎キャスター 「しかし、そんな席で飲まれるなんて、大吟醸もとんだ災難でしたね。」

原元 「そういうコトも含めて目を光らせていないといけませんね。」

浜崎キャスター「う〜ん、もっと高い酒もあるんだけどなぁ・・・」

原元 「そっちが気になりますか!」

放送が終わった後浜崎さんが、「実はこう言おうと思ってたんだけど・・・。」とつぶやいた。

「水道の水のようにガブガブ飲まないで欲しいですね。」

ああ、そっちの方がおもしろかった・・・。


1997.12.16

お昼に入ったファミリーレストラン、どこかいつもと様子が違う。店内は込み合っているのに、静か過ぎるのだ。理由はすぐに分かった。学生の団体が来ているのだけれど、全員手話で話しているのだ。

トヨエツ×常盤貴子、のりピー×大沢たかお(または竹ノ内豊)ばりに、パッパッ、クルクルと流れる手つき。でも、私は、彼らを見ていて、違和感を感じてしまった。なぜだろう・・・。

学生たちは、みんな二十歳くらい。そして、全員妙にカッコイイ、男の子も女の子も。とってもオシャレだ。私はどうして違和感を感じているのだろう?自分の持っている聴覚障害者に対するイメージと今私の目の前にいる彼らが一致しないからなのだろうか?自分の心の中に、「偏見・先入観」というものをつきつけられた気がして、私は少し自己嫌悪。

店の中では、私以外の客も、店員も少し意識していて、なんとなく声をひそめたり、ぎこちない。彼らとの距離を上手くとれないのだ。その時、私は見てしまった。そんな私たちを見る彼らの視線。チラッと一瞬だったけれど、あれは優越感・・・?!まさか。

気のせいでは無かったようだ。彼らはオーダーを頼む時はしゃべらなかったのに、店を出た瞬間、みんなで顔を見合わせて吹き出していた!大声で笑っていた!

・・・ほんとはしゃべれるんだ。

ここからは私の推測だけれど、おそらく彼らは大学の「手話サークル」かなにかの仲間なのだろう。そして、手話を上達させる為に、外に行ってもしゃべってはいけない、などと自分たちの中でゲームのようなルールでも作っているのではないだろうか。「語学サークル」によくあるように。

でも、手話って何?!語学の一種?(確かに、英語を学ぶくらい自然に世の中に浸透すれば、障害者との共生という社会が実現されるけど。)

私は混乱してきた。「手話」とは、ボランティア活動を前提とするものなの?でも、ボランティアをやってる人は、やってない人より偉いの?あの店で君らを気遣ったり、戸惑ったりしている人たちを笑うなんて、聴覚障害者をサポートできる技術を持っている君らは私たちよりどっか偉いの?!そもそも、「手話サークル」の目的って何?!

くだらない子供のイタズラな遊びに付き合わされてしまった。あ〜ゆ〜若い頃の集団の「ノリ」って、寒くってね。


1997.12.15 祝!ホームページ開設4ヶ月&アクセス20000件突破

うお〜い!!すごいぞ!HP開設4ヶ月という区切りの良い日に、アクセス件数が20000件を突破!つまり、一月に5000件のアクセスがあるということだ。

10月に10000件を突破した時よりは、さすがに落ち着いてるけど、よく考えてみたらスゴイよね。嬉しいぞ!

周りからは「ちょっとぉ、あんたの『ぢょしアナ日記』って書き過ぎじゃない?!」と言われるけど、いやいや、まだまだでっせ。だって私、捨てるもんナイも〜ん!?(笑)


1997.12.13

大学を卒業して、6年。今日は、私の母校、国学院大学にお呼ばれ。(呼び出しじゃないよ!)なんでも、マスコミ志望の学生の就職相談に乗って欲しいということだった。ほう、私も出世したもんだ。

就職課の応接室で、随時やって来る学生の相談に乗るの。若い子と話すのなんか久しぶりだわぁ・・・なんて思いつつ、実際はどんな子が来て、どんな質問をされるのか分からない。難しい事聞かれたらどーしよーかなあ、と結構ドキドキ・・・。

「まず、アナウンサー試験というのはね・・・」なんて偉そうに講釈たれる私。普段からその手の相談は多い。私は、これまで何百回も繰り返してきたであろう説明を、また学生たちにする。

面白いのは、同じ話をしても一人一人反応が違う事。打てば響くようなタイプの子もいるし、緊張してるのか全然トンチンカンな答えをする子もいる。大抵、自己紹介を聞けば相手の性格がほとんど分かってしまう。なるほど、面接官というのは、こういうものか。私も簡単に性格を見やぶられていたのだろうなあ、とぼんやり思う。それでも内定をくれたCBCには感謝しなければいけない。(笑)

私を困らせるような子はやって来なかったので、相談会は無事終わった。せっかく来たのだから、と夕暮れの校舎を歩いてみた。溜まり場だった学食、中庭のベンチ、売店、そして教室。不思議と、どこを見ても「懐かしい」という感情が沸いてこなかった。どこか落ち着かなくて、「ああ、もうここは私の居場所じゃないんだ・・・」ということを感じた。

いや、実際は、学生時代も「学校が自分の居場所じゃない」と感じていた。アナウンサーになって名古屋で一人暮らしを始めた時に、周りの人たちは「寂しいでしょ」と聞いてきたけど、私は全然寂しくなんかなかった。学生時代のことなんか、全く思い出さなかった。それは、新しい生活や仕事に夢中になってたからだけではなく、誰も自分のことを知らない土地で、「なりたい自分」に生まれ変わりたかったからだろう。いつも物足りなさやコンプレックスを感じていた。あがいてた気がする。

がむしゃらに働いてた時もあった。夜中一人で泣いてた事もしょっちゅうあった。まだあがいてた私。そんな時は、「採用試験を受けている時は、どんなに辛くても構わないから、私をアナウンサーにして下さい」と願っていたじゃないか、今がその辛い時なんだ、頑張るって決めたんだから耐えよう、と受験生の頃を思い出したら乗り切れた。

仕事を始めて3年目くらいかな、ラジオでしゃべっている時、ふと「ああ、あたし今生きてる!」って感じた。そんなの初めてだった。その後は、眠りから覚めたような感じで、物事を今までとは違った目で見られるようになってきた。急に自分を好きになれた。それ以来、「私の居場所はここにあったんだ」と思っている。勿論、今も。


1997.12.11

「はーい 朝刊」、今週は私のリポート有り。京橋のINAXギャラリーで開かれている「道具の謎とき展」を取材。世界各国の、「一体これは何に使うのだろう?」という不思議な道具を集めた催しだ。

道具の一つ一つも変わっているのだが、展示方法も変わっていて、「ヒント」を元に、その道具が一体何に使われるのかを自分で考えるクイズ形式なのだ。回答を見る度、驚いたり、感心したり、笑ったり、結構楽しめる。

私が一番気に入った物は、アメリカ製の「パーティー用ピアス」。真鍮で出来ていて、葡萄やりんご、貝殻の飾りが付いている。「耳の穴に入れるには太く、しかも同じ形はない。パーティーでホストが客の数だけ準備した。」というヒントを元に使い方を考える。正解は、「グラスの縁に引っかけて、自分のグラスを間違えないようにする為の目印」だった。なんとオシャレな!

また、ブータンの「雨除け帽子」には笑ったなあ。動物の毛で編んだベレー帽の様な形をしているのだが、5本のお下げが付いている。どっからどう見ても、「レゲエ風の変装用かつら」だよ。実は、これ、雨だれがお下げをつたって落ちるという、傘の仕組みを持った画期的な帽子だったのだ。(でもさぁ、顔はメチャ濡れるじゃん!)

他にもテレビでは紹介できなかったけど、「幻覚剤を吹き込むパイプ」、「帽子のサイズ測り機」、「夜這い棒(!)」など、日本の常識からは「ええっ?!」と驚く物ばかり。

道具は人類の知恵と工夫の結晶。世界各国の風俗や価値観が見えてくるよね。

ちなみに、欧米からは洗練されたデザインの日用品や医療用具、アジア・南米などからは、狩猟や農業の道具が多い。そして日本はというと、意外にもアイデア商品がたくさん有るのだ。実は、明治時代から大正にかけて、特許ブームが起こり、いろんな発明品が産まれたのだそうだ。「マッサージ器」や「ゼンマイ式蝿取り器」など、「王様のアイデア」も真っ青の珍品ばかり!昔の人もなかなかユーモアあるねえ。

ところで、今夜、パートナーの浜崎さんが「今日電車で若い娘に席譲られちゃったよ」と、鼻息を荒くしてやって来た。浜崎さんが老人に見えたのか、はたまたヒゲ面に威圧されたのか・・・。いや、きっとその娘は「浜ちゃんファン」だったんですよ。(笑)


1997.12.9

初めてパソコンでゲームをやった。「ディアブロ」、今評判らしい。

戦士や女盗賊になって地下迷路を探検。敵を倒し、、村人たちのクエストをクリアしながら、武器やお金を手に入れる。そして、ディアブロという史上最強のモンスターを倒し、悪魔の進行を食い止めるというゲームだ。結構おどろおどろしくて恐〜い。

このゲームの最大の魅力は、パーティー・プレイにあるらしい。今流行のネットワークゲーム、つまり、世界中の「ディアブロ」プレーヤーたちと一緒に冒険が出来るのだ。(最高4人まで、麻雀みたいだね)チャットもできるぞ。

しかし、私は格闘技ゲームやロール・プレイング・ゲームの経験があまりない(チャットも)。いきなり世界の舞台で大恥をかきたくない。そこで、一人密かに練習をし、自分のプレーヤーのレベルを上げてからパーティーにデビューする事にした。まるで、打ちっぱなしで練習をしてからコースデビューするゴルフ初心者の心境だ。

夜中に一人黙々とパソコンに向かう。薄暗い呪われた地下迷路を、次々と襲ってくるモンスターたちを倒して進まなければならない。いちいち「ジャーン」という効果音や「グウァッ」という悲鳴が辺りに鳴り響き、段々「なんで28の女盛りが、夜中一人でわざわざ恐い思いをしなくちゃならないんだろう」と悲しくなってくる。いんなことをごまかす為に、思わず日本酒をあおってしまう。

でも、「一緒にやろうよ。すんごくおもしろいから」と誘ってくれた知人を思うと、ここはやはり頑張りたい。未だ見ぬ未知の世界を体験してみたい。ところが・・・。

知人 「原元さん、順調ですか?」という探りのメールが来た。

私    「はい。まだレベル2ですが・・・。」

知人 「では、そろそろ一緒にゲームをやる日時を決めましょう。**日はいかがですか?」

よし、いよいよデビューだ。その日までにうんとレベルアップしとくぞ〜!

知人 「ところで、原元さん、まさか『シングル・プレイ』でやってませんよね。まさか。」

私    「・・・?」

知人『マルチ・プレイ』でやらないと、せっかく育てたプレーヤーは全く使えないんですよ。

・・・あんなに恐い思いしたのに。なんだよ、またヤケ酒かぁ?!(泣笑)


1997.12.7

同業者で人妻のMちゃんが妊娠した。同い年だし、性格も似てて一番仲良しなだけに、彼女が仕事を辞めてしまうのはとっても残念だけど、すんごく嬉しい。彼女の親兄弟の次に喜んでいるの間違いなく私だろう。

実は、私は子供にヨコシマな考えを抱いているのである。(先に言っとくけど、ロリコンやショタコンではないぞ)元々教師になりたかった私、子供自体はとても好きなのだけど、年金問題を取り上げる番組をやってから、私の子供を見る目は変わってしまった。どんな感じかと言うと、

「こ、こいつらが私の老後を養ってくれるのか。グヘヘ・・・。」(笑)

世代間扶養ってやつだね。

年金の支給額や少子化・高齢化による問題に、異常に敏感な私。もう以前のように純粋な目で子供を見る事ができない。

「Mちゃん、産まれたら今のうちに私にも可愛がらせてね。」と言う私に、

「美紀ちゃん、『今のうち』ってどういうこと?」と彼女は不思議そうに聞き返した。(苦笑)


1997.12.4

番組が終わって、家に着くのはいつも夜中の3時半頃。それからパソコンに向かい、メールを確認。次にホームページも。そして、番組の内容を思い出しながら、この日記を書き始めるのだが、今夜は私が書く前に既にBBSで話題になっていた。私の突っ込みが反響を呼んでいるようだ。

<以下番組再現>

原元  「海外で結婚式を挙げた方が、やはり国内よりも安く出来る事が、アンケートで明らかになりました。費用の平均は108万円で、これは国内外合わせた平均額の4分の1です。(中略)また、親などの参列者を全く呼ばないカップルも、全体の三割に上るそうです。」 「安い上に、呼びたくない人を呼ばなくて済むなんて、良いかもしれませんねぇ。」

浜崎キャスター 「私の娘にも勧めてみようかな。雄大なシベリアなんか良さそうですねえ。」

原元 「良いですね。けど、『お父さんは来ないで』なんて言われそうですよね。・・・今夜はこの辺で。」


1997.12.3

ラヂオの時間」を観た。前評判通り、結構笑えた。深夜に生放送でラジオドラマをやるお話なんだけど、一般の人がどこまで理解できるのかはちょっと疑問。でも、現場はほんとにあんな感じ。

私も新人の頃、ラジオドラマに出た事がある。両親が死んだショックで口がきけなくなった5歳の少女が、おじいちゃんと二人で暮らしているのだけれど、丘の上の桜の木の下でお花見をしている時におじいちゃんが倒れてしまうの。オンナの子は必死で丘を駆け下り、「おじーちゃんが、おじーちゃんが・・・!」とおじいちゃんを助ける為に思わず叫んだ。という、結構感動的なストーリーだった。私の役はなんとその少女、主役だった。

丘から駆け下りる息遣いの収録は、結構大変だった。なんたってクライマックスだもん。オンナの子の走る足音と私の息遣いはピッタリ合っていて、それでいて段々高ぶらなくてはならない。音響さんが手に子供用サンダルをはめ、紙箱に入った砂やアズキの上で「タッタカ、タッタカ」足音を作る。(映画のまんま)時たま「ズルッ、ザザァ〜」とすべってリアルさを出す。私もその度に、「ハッ、ハッ、」と言う息遣いに「ングッ」など、つばを飲む音を挟んだりする。二人、目を見つめながら同じリズムを刻んだ。

そんだけ苦労したにも関わらず、肝心の「おじーちゃんが!」と言うセリフは子役に回されてしまった。私の息遣いだけが欲しかったんだって。理由は、Hぽくないから。「お前、聞いたことあんのかぁー」と心の中でディレクターに突っ込みつつ、当時22歳の私は、かなりショックを受けた。他人にはそう思われてんのね・・・。

う〜ん、映画を観ながら思い出してしまった。しかし、アレだね。人物描写というか、人物の配置がまんまで、思わず「あ〜、この人は○○部の××さんにそっくり。そんで、こっちの人は・・・」と、当てはめてく楽しみがあるよね。ウチワには。

昔聞いた話なんだけど、人が生涯出会う人間のタイプって、大きく分けると10パターンくらいしかないんだって。小学校・中学校・高校・職場と環境を変えても、「あっ、この人は小学校の時に仲が良かった**ちゃんになんとなくタイプが似ているなあ」と、必ず同じような人間関係が形成されるんだって。

不思議だよね。でも分かる気がする。簡単に言うと、「どこ行っても、こーいうタイプの人いるんだよなあ・・・」っていうのが、おおざっぱに10パターンってことでしょ。

ここまで考えて、なんか悔しくなってきた。だって、私もこれから出会う人にとっては、その人が以前出会った誰かに似てるってことだよね。な〜んか、ヤダ。やっぱり、この世の誰も出会った事が無い人でありたいな。

ところで、まだこの映画を観ていない人には注意事項があります。カップルの側には座らないこと。大抵、男がうざったいくらい解説するから。私など、観る前から結末までしゃべられてしまって(聞こえてしまって)、「あ〜、しゃらくせー」と何度その男に舌打ちしたことか。(笑)


1997.12.2

わ〜い!とうとうオフ会のページができたぞぉ!と言っても、私がモタモタしていたので、本巣郡のなおちゃんが作ってくれたんだけどさ。なおちゃん、どもありがと。

原元 美紀ホームページアクセス10000件突破記念オフ会のアドレス

http://hiroba.net/nao

なかなか良い出来なので、来てくれた人も来れなかった人も、ミンナも見てね。

ちなみに二段目の写真の右端に写ってる男性がなおちゃんです。参加者の中で、最年長。しかも、見事アクセス10000件目をゲットしたおちゃめなおじさまであーる。オフ会の時に発表するのを忘れてしまったので、自分から言い出せず、がっかりしたそうな。ゴメン、ゴメン。

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