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2002.2.28

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1975年2月28日 「盾の会」解散と三島由紀夫】今日は、ある作家が辿った衝撃的な運命です。三島由紀夫。作家で戯曲家。ノーベル文学賞の候補になるなど日本を代表する文学者です。

三島は1970年11月。ある決意をもって東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乗り込みました。「俺は自衛隊が動くのを待った!もうこれで憲法改正の機会はない!」三島はクーデターを呼びかけ、自衛隊員に決起を促しました。しかし、三島の話に耳を貸す者はいませんでした。その直後、三島は、ろう城していた総監室で割腹自殺を図ったのです。三島の突然の死を聞き、親交のあった川端康成そして、若き日の石原慎太郎が駆けつけました。

事件の伏線は2年前にありました。1968年。三島は、「盾の会」を結成。天皇制支持と祖国防衛を旗印に、活動を始めました。「僕は興味あるのは、芸術と軍事だけなんですよ。軍事とは自衛隊問題。防衛問題。芸術も軍事も日本じゃ一番難しい、解決不可能な問題を抱えているんです。だから興味があるんですよ」 

祖国、日本を守る。そのための「盾の会」。三島とそのメンバーは同じ志を持つ者として、自衛隊駐屯地に向かったのです。そして、31年前のきょう。三島の死から3か月後、「盾の会」は解散しました。

原元 「三島由起夫の著作は、世界的にも評価されていたんですよね。

森アナジョージ・ルーカスとフランシス・フォード・コッポラの製作で、「Mishima」という映画が作られたくらいなんですよね。何故か、日本では公開していないんですが。

原元 「へぇ。誰が三島由起夫を演じたんですか?

森アナ緒方拳さんです。その他にも、沢田研二さんや坂東八十助(現・三津五郎)さんなどが出演されています。

原元 「豪華キャストですねえ。三島の作品と言うのは、それほど強烈な印象を多くの人に残したのですね。」


2002.2.27

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【変な発明品大集合】きょうは、意外な発明品をご紹介しましょう。1957年のロンドン路肩にビッシリ停まった車。これじゃ駐車するのも大変ですが、みごとな横移動でスッポリ収まりました。実は、これ、「サイドラー」という発明。ジャッキとゴムのローラーを水圧で操作して・・・、車の後輪を浮かせて、車体を横に移動するすぐれものなんです。

ロンドンの駐車場不足はすでに1930年代には、深刻化していました。そこで、地下駐車場構想ギッチギチに詰め込んで駐車しても、ベルトコンベアーを使って出し入れができるというんです。これまでは12台しか停められなかったのに、この「メカニカルシステム」なら、21台も停められるのです。さらに、この駐車場のスゴイところは戦時中、防空濠にもなるんですよ〜。

一方、フランスの発明家。一人乗りのミニ潜水艦でセーヌ川を下ります。でも、これだったら普通のボートでも良いかも・・・。

アメリカの発明おじさんが考案したのが、こちら。一人乗りヘリコプターです。手放し運転もOKです。水の上もス〜イスイ、っと。これで大雪や洪水に見舞われても大丈夫。といっても、この高さは50センチくらいが限界なんですけどね。

森アナ「原元さんは、発明とか考えられた事はありますか?」

原元 「小学生の頃、『ホレ薬』を作ったことがあります。」

森アナええっ!!

原元 「朝鮮ニンジンのエキスにラベンダーや薔薇のポプリを浮かべたりして・・・。

森アナ「それは効かないでしょぉ。誰かに試したのですか?

原元 「その前に相手が卒業を迎えてしまいました。ああ、森さん、試してみます?」

森アナ「・・・。ご自分でどうぞ。


2002.2.26

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1970年代 マイコンブーム】きょうは、当時、機械好きをにした話題です。 1970年代中頃、秋葉原電気街。看板に“マイクロコンピューター”と書いてありますねえ。当時、機械好きの間では、小型化を売りにした、“マイクロコンピューター、通称マイコン”がちょっとしたブームになっていました。因みにお値段は、約60万円くらいでした。

杉上アナ「その後、マイコンが普及・発展し、パソコンが生まれました。ちなみに現在、パソコンの世帯普及率は50%を超えているんですが、原元さん、結構、ハマってるらしいですね。」

 原元 「はい、よくご存知で・・・。実は私、HPを持ってるんですよ。」

杉上アナ「どんなことを載せているんですか?」

 原元 「いえ、とてもTVでは言えないことです・・・。」

杉上アナ「この『朝いち430』をお送りしているNNN24NTVノンストップニュースでも、HPが有るんです。アドレスはこちら。

http://www.nnn24.com

このHPでは最新のニュースを24時間、リアルタイムでお伝えしてます。 みなさんぜひ、ご覧になってみて下さい。

※マイコンという言葉をもう少し詳しく説明すると、 

@1枚の配線装置(ボード)、もしくは1個の集積回路(チップ)上に形成されたコンピューター。

A装置の小型軽量化、低消費電力、低発燃費、低価格が実現。

B各種の機械に 簡単に内蔵できることから、コンピューターの大衆化を促進、産業界を一変させた、とのことです。現在でも、炊飯器、洗濯機、電子レンジ、エアコンなど、数多くの電機機器に使われています。  

ただ、VTR当時はかなり曖昧な用語だったみたいで、実際「私のコンピューター」的な使われ方もあったようです。 


2002.2.25

ソルトレークシティーオリンピック17日間の熱い戦いが終わりました。「より高く より速く より強く」というテーマの通り、たくさんの記録が生まれた大会でした。選手達の挑戦に感動しました。

そして、その一方で、「より正確に より公正に」も付け加えて欲しいと思いながらTVにかじりついていました。

*

さて、今朝の「ニュース朝いち430」では、仙台で納豆の日本一を決める「全国納豆選手権大会」が開かれたという話題をお伝えしました。その際、珍しく駄洒落なんぞ言ってみたのですが・・・。

 「今朝の朝食に納豆はいかがですか?納豆だけに、納得(ナットゥ・クゥ?なっとう食う?)・・・なんて。」

非難ゴーゴーでした・・・!(泣)

ちなみに私は原稿どうり読んだだけなの。とほほ・・・。今度こそ「ねば〜ねば〜・ギブ・アップ」で頑張ります。

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1986年2月25日 アキノ大統領就任】1983年8月マニラ国際空港、マルコス大統領と政治的に対立してきた、ベニグノ・アキノ氏が、亡命先のアメリカから帰国した直後、空港で射殺されました。これは陰謀ではないのか・・・。市民の間にマルコス政権への不満が一気に広がりました。当時、フィリピンではマルコス一族が栄華を極める一方、経済の低迷が続いていて、腐敗しきっていたマルコス政権に対する抗議の声次第に高くなっていったのです。

そして16年前のきょう。フィリピンのマラカニアン宮殿でマルコス大統領が、4期目の宣誓式を行いました。その頃、別の場所では、この人も大統領就任の宣誓。ベニグノ・アキノ氏の未亡人、コラソン・アキノです。大統領選挙の結果をめぐり、多くの市民は、民主化を訴えるアキノ氏を支持。人々の圧倒的なパワーに、20年続いたマルコスの独裁政権が崩壊した瞬間でした。

追われた大統領一家は、アメリカに亡命住む者の無くなったマラカニアン宮殿には、マルコス一族のぜいたくな生活ぶりを伺わせる品々が残されました。イメルダ夫人の衣装部屋には豪華な衣装や宝石類がぎっしり夫人愛用の香水の香りまで残っていたそうです。

 原元 「すごい宮殿でしたね。イメルダ夫人というと、3,000足の靴のコレクションを思い出しますが・・・。」

杉上アナ実は、去年イメルダ夫人の靴の博物館がオープンしたんですよ。200足ほど展示されているそうです。ところで、イメルダ夫人はかつて、『私の贅沢は、国民の贅沢だ。だから気が引けたりはしない』と述べた事があるそうです。」

 原元 「現在72歳だそうです。」


2002.2.22

番組終了後の会議で、ショックなことがありました。

原元  「斎藤さん、今度『亀でお天気を占える』っていう話題をやって下さいよ。」

斎藤さん「え?そんなことできませんよ。」

原元  「だって、キコウ(気候)が占えるって言ってたじゃないですか?」

斎藤さん「キコウじゃなくて、キッコウ(亀甲)ですっ!亀の甲羅で占いができるって言ったんですっ!」

原元  「だってぇ、さすが気象予報士だと思ってたのにぃ・・・。」

斎藤さん甲羅割ったら、うちの亀が死んじゃうじゃないですかぁっ!!(叫ぶ)」

更に追い討ちをかけたのは、

斎藤さん「『亀は万年』と言うけれど、実際は長くても40年くらいなんですね。本来は冬眠の時期ですけど、我が家では室温を28度に保っているので、元気に動いています。」

原元  「ああ、やっぱり『虫』だから冬眠するんだぁ。

スタッフ一同「はぁ??」

斎藤さん「・・・ひょっとして原元さんは亀を『虫』だと思ってる?」

原元  「?はい。だって爬虫類だもん。

スタッフA「もしかして爬虫類って『虫』だと思ってる?」

原元  「じゃあハチュウルイって、漢字でどう書くの?『虫』って書くでしょ。だから『虫』だと・・・。」

スタッフB「をい、誰か生態系の図を見せてやれよ。(怒)」

この後、両生類と爬虫類、哺乳類の違いを講義されました。うーむ、要チュー意!!

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1940年2月 ダライ・ラマ14世即位】きょうは62年前の2月に、大きく運命が変わった人物が主人公です。中国の南西部に位置するチベット。この地には、チベット仏教を信奉する人々が多く住んでいます。その信仰の中心である、聖地ラサ大勢の僧りょに守られ、4歳の少年がチベット仏教の最高位として迎えられたのです。男の子の名は、ラム・デンチュ。1940年2月、ダライ・ラマ14世としてラサのポタラ宮殿で即位しました。ダライ・ラマはチベット仏教では観音菩薩の化身とされ、その地位は代々「転生」した者、つまり、生まれ変わりが継承することになっています。ラム・デンチュはダライ・ラマ13世生まれ変わりと認定されたのでした。

しかし、9年後の1950年、中華人民共和国成立で人民解放軍が進駐し、チベットは中国の直接の支配下に置かれる事になったです。1959年3月には僧侶や市民らの中国に対する不満が一斉蜂起という形で爆発。混乱の中、ダライ・ラマ14世はチベットを脱出し、インドで亡命政府を樹立しました。以来、非暴力によるチベットの独立を世界各地で訴えてきました。

1989年12月10日、ダライ・ラマ14世はその功績が評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。「この受賞は、真実と勇気、そして、決意の力を持って我々の確信を再認識させました。チベットは解放されるのです。」と語りました。 

原元 「このノーベル賞を受賞した時には、「私個人ではなく、『チベット人こそが真の受賞者』だ」とも語ってことがとても印象に残っています。

森アナ『全ての者はお互いに深く関わっているというダライ・ラマの哲学からきた言葉ですね。ちなみに、ダライ・ラマというのは、モンゴル語で、「大きな海のような深い知恵を持った聖人」という意味だそうです。

原元 「当時4歳でダライ・ラマとして迎えられ、現在は66歳になられました。


2002.2.21

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

1968年2月21日 金嬉老事件】34年前の今日、静岡県ののどかな山麓寸又峡温泉で戦後犯罪史に残る事件が起きました。金嬉老、当時39歳。清水市のスナックで暴力団員2人を殺害した金は、45キロ離れた寸又峡温泉へ逃走。旅館「ふじみ屋」に侵入すると、客ら13人を人質に篭城しました。窓に吊るされたダイナマイトそして、大量の実弾金と警察は、一触即発の状態になります。ところが、金はここで、意外な行動に出ます。旅館の中に記者を呼び入れ、背中にライフルを抱えたまま会見を始めたのです。

記者を通じて金は、“清水署の刑事が在日朝鮮人を罵倒したこと”や“殺害した暴力団員の日頃の行い”について、警察が事実を公表するよう要求。そして、“公表すれば自分は自殺する”とも語り、自首を拒み続けました。その一方で、人質を一人、また一人と、解放していきました。

そして・・・、いつものように玄関先で、記者会見が行われていたその時!金の一瞬の隙を突き、記者に変装した警官が、一斉に飛びかかりました。事件の一部始終がテレビで報道されるという、前代未聞の事件。88時間にわたる篭城劇は、金の逮捕により、ようやく幕を下ろしました。

原元 「この88時間の篭城。人質事件としては、当時、国内最長時間だったんですよね。」

森アナ 「逮捕後、金は75年に無期懲役が確定しましたが、99年9月、仮釈放され、母親の祖国、韓国に移り住みました。しかし、その翌年、恋愛関係のいざこざから殺人未遂事件を起こし、現在、獄中生活を送っているということです。」

原元 「当時39歳、今は73歳になるんですね。


2002.2.20

お天気キャスターの中嶋美年子ちゃんがインフルエンザでお休み。ピンチヒッターに、お昼の日テレのニュース番組「ニュースダッシュ」から、気象予報士の三ヶ尻知子さんが駆けつけてくれました。初登板とは思えないほどのハイテンションで、また新鮮でした。

森アナ 「そろそろ春めいてきましたけど。」

三ヶ尻さん「え?春はもうすぐそこまできてますよ。」

原元 「え?どこに?」

三ヶ尻さん「ほら、すぐそこです。気づきませんでした?」

そして、「朝いち天気」コーナーでは、「花粉症にはガムが効く!?」という話題を紹介してくれましたが・・・。

三ヶ尻さん「ガムを噛む事で、20パーセントも花粉症の症状が軽減されたんですよぉ!」

森アナ 「え〜、そろそろ天気予報を?

三ヶ尻さん「きゃあ!忘れてた!!」

とってもユニークな三ヶ尻さん、早朝からありがとね。またお手伝いに来て下さいね。そしてミネちゃ〜ん、早く良くなってね。

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1935年2月20日 シャーリー・テンプル】当時、映画1本の出演料が100万ドルというスーパーアイドルの名子役シャーリー・テンプル。67年前のきょうなんと6歳にしてアカデミー特別賞を受賞しました。受賞のコメントはありがとう。ママ、早くおうちに帰ろう」・・・(笑)そんなシャーリーちゃんもやがて少女からレディーへと成長しました。1945年シャーリーちゃんの結婚。当時17歳。ちょぴりおませさんだったんですね。

森アナ 「こちらは『シャーリーテンプル』という名前のカクテルです。このらせん状のレモンの皮は、彼女の巻毛をイメージしているんです。原元さんどうぞ!

原元 「(飲んで)ぶっ!甘〜い!なに、コレ?

森アナ実はこれ、お子様用のカクテルでノンアルコールなんですよ(笑)で、作り方も非常に簡単です。」 

材料は、氷、グレナデンシロップ 20ml、ジンジャーエールまたはレモネードを適量。レモンの皮一個分。

作り方は、まずタンブラーの中にらせん状にむいた、レモンの皮を入れて、端をグラスに掛けます。次にグラスに氷を入れて、グレナデンシロップを注ぎます。

冷した、ジンジャーエールまたはレモネードを入れて、最期に軽くステアします。作り方は簡単なんですけど、このかつらむきが難しいんです。原元さん、ちょっとやってみて下さい。(ナイフとレモンを渡す)」

原元 「え!?ホントに?リンゴのようにクルクルむけばいいんですよね。わ〜、固くて難しい〜。宿題にさせて下さい。」


2002.2.19

番組冒頭からイキナリ「EXCUSE・み〜すっ!」

原元 「それでは、最新ニュースをお伝えしちゃいます。

スタッフ 「ずるっ。(とこける)」

ん・・・?何か変だな。

原元 「あ!お、お伝えします。」だっ!!

わ〜、すげぇカッコワリィ・・・(泣)

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1972年2月19日 あさま山荘事件】30年前のきょうは日本中を震撼させた“あの”事件が発生しました。1972年2月19日。長野県軽井沢にある河合楽器の保養施設「あさま山荘」。管理人の妻を人質に、5人の若者が篭城。「連合赤軍」のメンバーだった。

伏線は1年前のこの事件。栃木県真岡市の「塚田銃砲店」が襲撃され、散弾銃11丁と実弾2300発などが強奪された。犯行は「京浜安保共闘」という過激派グループによるものだった。同じ頃、横浜などでは銀行や郵便局がたびたび襲撃される事件が起きていた。これは「赤軍派」による犯行だった。銃を手に入れた「京浜安保共闘」と活動資金を手に入れた「赤軍派」1971年末、二つの組織が合体し「連合赤軍」が誕生。

年が明けた2月。警察は、この1か月間を連合赤軍をターゲットとした捜査強化月間に指定。そのさなかの2月17日、「連合赤軍」の最高幹部の森恒雄そして、ナンバー2の永田洋子を逮捕。あの「あさま山荘事件」が起きる2日前だった。逮捕された二人が、東京から群馬県山中のアジトへと戻る途中だったことから残りのメンバーの捜索が始まった。

そして2日後の19日朝。軽井沢駅に薄汚れた身なりの男女4人が現れた。不審に思った売店の店員が通報。4人は連合赤軍のメンバーと判明し、逮捕された。そのニュースを別荘地に身を潜めていた残りのメンバー5人はラジオで知った。そして、最後の闘争を開始すべく、「あさま山荘」に立てこもったのである。1972年2月19日午後3時30分。10日間、218時間に及ぶ警察との攻防が始まった。

阿部アナ「最高幹部の森恒雄は事件翌年の1月1日、初公判直前に拘置所内で自殺しました。また、永田洋子には1993年、事件からちょうど21年目の2月19日に最高裁で死刑判決が下っています。」

原元 「取り調べの過程ではメンバー同士による凄惨なリンチ殺人で12人が亡くなっていたことも明らかになりました。あさま山荘での攻防は長時間にわたってTV生中継され、日本中を震撼させた事件でした。

阿部アナ事件から30年たった今も、この事件は注目を集めています。昨年、今年にかけて浅間山荘事件を題材にした2本の映画が上映されます。」

『光の雨』

立松和平さんの同名小説を高橋伴明監督、萩原聖人主演で映画化。昨年公開され、現在も上映が続いています。小説の映画化を劇中劇として描き、フィクションとドキュメンタリーの要素を併せ持った構成となっています。萩原聖人さん演じる若手映画監督やキャストは30年前に実在した同年代の若者達の行動に疑問を感じながらも、「役」を演じようとしていきます。

阿部アナ「死んでいった14人、その最後の場面を全て描く」というコンセプトで作られたこの作品。14人の最後のシーンの衝撃以上に「心の闇」を突きつけられる痛みを感じさせられます。つづいては浅間山荘事件で実際に現場で指揮を執った、佐々淳行さんの原作、原田眞人さん監督、役所広司さん主演の作品。

『突入せよ 浅間山荘事件』

史上最高の89.7%の視聴率を記録し、日本中をテレビの前に釘付けにしたこの事件を独自の視点に基づき、緻密な構成、迫力の映像で描写します。エンターテイメントのあり方を根本的に覆す力を持つとともに、今を生きる私たちに衝撃を与えます。公開は5月からです。


2002.2.18

寒さと疲れから体がだるくて気孔の先生のところ行って来ました。

「あぁ原元さん、血圧低過ぎ!上が90で、下が45だよ!ちょっと、はい、横になって・・・。」

かぽん。

ぎゃあああああああああ!!

背中にペンチで肉をえぐられたような痛みがっ!

「せ、先生、何ですか、これ!?」

「ん?血行が良くなるからね。」

あまりの痛みに鏡を見ると小さなガラスの金魚蜂のようなものが私の背中に吸い付いているではないかっ!これが噂のカッピング!?3分ほど苦痛に耐えると、肌に赤くま〜るい跡が・・・。

「これね、血行悪いと赤くなるの。」

先生、先に言ってよ。これじゃ首の開いた衣裳着られないじゃん!

結局、「♪わ、わ、わ、輪が五つ(古い?)」、背中に5つ、赤くま〜るい跡ができました・・・。

上に3つ。下に2つ。こ、これはっ!?まるで五輪のマークではないかっ!先生、私の背中で遊んでないですか?

がんばれニッポン!原元は体を張って応援しています。

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1958年&59年 神風タクシー】きょうは44年前のこんな話題をご紹介します。深夜の東京をぶっ飛ばすタクシー、その命知らずの運転から「神風タクシー」と呼ばれていました。おまわりさんがいなけりゃ、歩道だって通り道です。当然、事故が絶えなかったようで交通事故による死傷者も激増。でも、厳し〜いノルマをこなすために神風タクシーはすっ飛ばします。

簡易裁判所は、交通違反の運転手さんでごった返しています。ここで罰金を支払って・・・車に戻ったと思ったら神風タクシーに変身。裁判所でロスした時間を取り戻そうと再び町をすっ飛ばします。

原元 「すごい時代だったんですね。

阿部アナ最近のタクシーの運転手さんは優しいですよぉ。私なんかこの間おサイフを忘れてしまったとき、日本テレビの会社までわざわざ届けて下さったんですよ。

原元 「はは、でも阿部さんその前に忘れないようにしなきゃ。私はねえ、「お疲れでしょう」って、マッサージ器を渡されたり、「お一つどうぞ」ってカラオケセットを差し出されたこともありました。丁重にお断りしましたけどドライバーの皆さん、これからも安全運転でよろしくお願いしますね。


2002.2.15

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1981年2月15日 日劇サヨナラ公演】21年前の1981年2月15日、日本劇場、通称日劇が48年の歴史に幕を下ろしました。日劇が東京・有楽町に産声を上げたのは昭和8年のクリスマスイブコーヒー1杯が15銭程度の時代に入場料は50銭でした。銀座の街も廃虚と化した第二次大戦。戦火をくぐりぬけた日劇は“東京の名物”、そして娯楽の殿堂として人々に愛されました。

その魅力は、何といっても日劇ダンシングチームによるレビュー日劇の舞台を踏まないと一流の芸能人と認められない。そんな時代もありましたが、しかし、テレビという新しい時代の波には太刀打ち出来ませんでした。大勢の人たちに惜しまれる中、サヨナラ公演が行われました。

原元 「森さん、その格好・・・?」

森アナ「(シルクハットにステッキでポーズを取る森アナ)実は僕、レビューとか宝塚とか大好きで、憧れていたんです。」

原元 「もしや・・・!」

森アナ「はぁ〜い、僕のダンスをとくとご覧下さい!あ、ワン、ツー、ワンツースリー♪」

(カチャカチャとタップダンスを踊りだす森アナ)

原元 「うそお。上手―い!!張り付いた笑顔もいいですよぉ!!」

森アナ「実は今日始めたばかりなんです・・・。」

原元 「ええっ!?森さんが社交ダンスをやっていたことは調査済みでしたが、まさかタップまで!でもね、デタラメをこうやって堂々とテレビでやれるというのも才能ですよ!アナウンサー以外の道も・・・。」

森アナ 「いや、それはちょっと。

原元 「日劇がまだ残っていたら、ステージに上がれたかもしれませんね。(そうじ係でね、ふっふっふ

*

放送をご覧になった方から、「なんで原元さんが踊らないのですか?」というメールをいくつか頂きました。ハイ、私、タップダンス習ってました。3年ほど。発表会にも出ました。写真館のページにその時の写真もUPしてます。

実は、前日の会議のことです。

スタッフA「明日の『蔵出し』、どうしよっか?」

スタッフB「原元さんて、タップダンスやってなかったっけ?」

 一同 「いいねー。決定。」

 原元 「え?まじ?」

スタッフA「じゃ、シルクハットとステッキ用意して。あ、なんかリクエストは?」

 原元 「じゃー、『雨に唄えば』をかけてぇ、雨も降らしてもらえます?」

スタッフA「O.K」

てっきり冗談と思っていた私。しかし、朝出社した私に、ADさんが一言。

「靴持って来ましたよね?」

えっ!?

もしかしてホントにやる気だったのぉ!

「うっそおおおおおおおおおおおおおお」

あまり驚きに、顔がムンクの『叫び』状態!ということで、私の代わりに森アナが踊るハメになってしまったんです。いや、しかし、急遽やらされることになった森アナが本当に踊るとは思わず、本番で一番驚いたのはこの私でした。森クン、ごめんよ。


2002.2.14

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1960年代 男のおしゃれ】きょうは、男性の方々必見の話題です。1960年代初め。時代を先取りしたい男性に、おしゃれ心が芽生えました。まずは、カタログを見て研究。大いなる野望を胸に、お店へと繰り出します。パンツ選ぶ寡黙な青年、香水選ぶ優柔不断な男性・・・。リップクリームにマニキュアまで!エステではおじさまがお肌のお手入れを!ひょっとすると今よりもオシャレさんが多い時代だったかもしれません。

森アナ「僕もちょっとオシャレになろうかなと・・・。

原元 「ははは、改めて言いますが、男は中身ですよ、森さん。でも、今日はバレンタイン・デーということで、オシャレをしてこれから出かけられる方も多いんじゃないんでしょうか。」

森アナ「実は、きょうのバレンタイン・デーにちなんでですね、「愛を届けに来た人達」を取材しました。『トロカデロ・で・モンテカルロバレエ団』という女性の格好をした男性だけのバレエ団なんです。テロで失意にくれる彼らを励ましてくれた日本のファンに、感謝のチョコレートをプレゼントしにN.Yからやって来ました。

森アナ「これが彼らが配ってたチョコです。バレンタインということで、僕から原元さんに・・・。」

原元 森さんも、白タイツで踊ってプレゼントはしてくれないのですか?

森アナう・・・。」

原元 「まだまだ愛情が足りませんね〜。

*

そして、番組のエンディング

原元 「森さん、今日はバレンタイン・デーですが、私、義理チョコあげない主義なんです。」

森アナ「?」

原元 「だから、ごめんなさいね。」

森アナ「・・・。(僕はあげたのにぃ)」


2002.2.13

今朝の「ニュース朝いち430」のエンディングのフリートークは、バレンタイン・デー前日ということで、森アナに集中攻撃・・・!?

原元 「森さん、抱負は?今まで何個もらったことがあるんですか?」

森アナ「ええっと(指で数える)」

中嶋 「足りなかったら指を貸しましょうか?」

森アナ「いえ、それには及びません。」

原元 「そーいう中嶋さんこそ、仕事の合間にセーターを編んで、怪しい動きをしてますけど。」

中嶋 あ、あれは自分のですから!

森アナ「原元さんはどうなんですか?準備してるんですか?」

原元 「うーん、私はねえ、なぜかあげるより貰う方が多いんですよねぇ。後輩とか・・・。」

二人 「うーん・・・。(なるほど)」

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1959年2月13日 警察庁が酔っ払い保護へ】43年前のきょう、酔っ払って手を付けられねーような「大トラ」なんかも警察が、保護を始めたんですとかく、この国は「酔っ払い天国」なんて言われて、酒飲み達を温か〜く見守ってくれる大らかないい国でやんす。

森アナ「楽しく飲む為に、今日は『酔う』メカニズムをご紹介します。

まず、体の中に入ったアルコールは小腸から吸収され、大部分が肝臓で代謝されます。この時、アルコールはアルコール脱水酵素によって、アセトアルデヒドに分解されます。そして、アセトアルデヒド脱水酵素が水と二酸化炭素に分解し、体外に排出されるんです。このアセトアルデヒドは毒性が強く、十分に分解されずに体内に残ると頭痛や吐き気、動悸などの症状を引き起こし、悪酔い、二日酔いの原因にもなります。そして、日本人は他の人種に比べて、お酒に弱い体質なんです。」

原元 「なんだか損した気分ですねぇ。」

森アナアセトアルデヒド脱水酵素2型が遺伝的に欠損している事がその原因です。アセトアルデヒド脱水酵素2型の働きが弱いか欠損している人は、日本人のおよそ44%にも及びます。この遺伝的性質はモンゴル系民族特有のもので、アフリカ系やヨーロッパ系にはこうした特徴は見られません。」

原元 「さらに、女性は男性に比べて、アルコール代謝能力が低いといわれ、同じ量をのんでも、血中濃度は高くなり、酔いが覚めるのも遅くなるんです。また、女性ホルモンにはアルコールの分解を抑える作用があるといわれています。自分の適量で、楽しいお酒を心がけたいですね。


2002.2.12

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1978年2月 嫌煙権運動】嫌煙権。この言葉、実は、24年前のある運動から広まったんです。1978年2月18日。「嫌煙権確立をめざす人々の集い」が開かれました。彼らが、まず主張したのが、病院での分煙当時は待合室でもプカプカやってたんですね。さらに新幹線に「禁煙車」を作って欲しい、とも訴えていました。

当時は過激にうつった、彼らのアピール。しかし、「嫌煙権」という言葉とともに瞬く間に市民権を獲得していきました。

「禁煙なんて簡単だ。俺なんか15回もやったよ」  マーク・トウェイン

杉上アナ「実は、日本テレビ社内も去年11月から全面禁煙になりました。」

原元 「確かに、ここ報道局の空気もきれいになりましたよね。でも、これを機会に禁煙したという話も聞かないので、マーク・トウェインの気持が分かる人、大勢いると思います。」

杉上アナ「禁煙を続けるコツとしては

1.タバコの害について  イメージを持つ

2.禁煙しようと思った理由や、禁煙の努力を思い浮かべる

3.周囲に禁煙を勧める

4.禁煙して良かった事を考える

杉上アナどうしても決意が揺らいでしまうという人の為に今日は禁煙グッズをそろえてみました。例えばこちらは有名な禁煙パイポ。」

原元 「口淋しいという時に良いそうですね。これはなんですか?」 

杉上アナ「こちらはガムタイプの禁煙補助剤なんです。どれも手軽なところが良いみたいです。」

原元 「まあ、やっぱり最後は『意志の力』といったところでしょうか。


2002.2.11

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1984年2月11日 キャベツ畑人形発売】きょうは18年前のこんな話題です。1984年2月10日東京・上野のデパートに長い行列。さて、お目当ての商品は一体なんでしょう?「ねぇママ、赤ちゃんはどこからやって来るの?」「赤ちゃんはね、キャベツ畑から 産まれるのよ」「ふ〜ん、キャベツ畑なんだ!」そんなやりとりがアメリカの家庭では交わされるんです。

正解は、こちら。アメリカからやって来たキャベッジパッチ・キッズ、キャベツ畑人形です。この人形、コンピューターを駆使してひとつひとつの顔や髪形が微妙に違っているんですね。さらに、本当の子供のように可愛がってもらおうと「公式養子認定書」なんてのもついているんです。

杉上アナ「このキャベツ畑人形、アメリカで爆発的な大人気という触れ込みで発売されたんですがいま一つ、日本ではヒットしませんでしたね。」

原元 「アメリカでは、今も新シリーズ発売されていて、おもちゃの定番として定着しているそうです。」


2002.2.10

明日の「ニュース朝いち430」(日テレ系全国ネット)は、オリンピック特番の為、4:30〜4:55までの25分間の放送となります。

日本テレビでは、「スピードスケート女子3000メートル」の模様を中継します。メダルが期待される田畑真紀(富士急)は全16組中の14組でトニー・デヨング(オランダ)と同走することになっています。このほかの日本勢では、根本奈美(富士急)が11組、妹尾栄里子(王子製紙)が12組で滑りますよ〜。TVの前で応援しましょうね〜。


2002.2.8

今日はちょっと番組の舞台裏のお話です。

「どうしていつも下を向いてばかりいるのですか?なぜ他のアナウンサーのように原稿を暗記できないのですか?」

というお手紙を頂きました。

実は他のアナウンサーも原稿を覚えているわけではありません。

そもそもニュースなので、番組開始直前までの最新の情報を伝えようとする為、どうしても原稿の下読みができるのもギリギリになってしまいます。下読みすら出来ず本番でぶっつけの時もしょっ中です。(一日1回は確実にありますねぇ)ましてや1時間分の内容を1回の下読みで完全に覚えるのはほとんど不可能です。

暗記しているように見えるのは、スタッフがカンニング・ペーパーを出していたり、自分の手元の原稿をカメラのレンズ前に映し出すプロンプターという機材を使用したりしているからなのです。

我が「ニュース朝いち430」では報道フロアを走り回ってあちこちからニュースを読む為、そのプロンプターが使用できないのです。てゆーか、そのマシーンの予算もないのよね(笑)

でも、ご指摘されたように、なるべく顔を上げて読む方が伝わりますよね。頑張って1回で覚えこむようには努力していますが、正確にお伝えすることが第一なので、ちょっと下を向いたらごめんなさいね。

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「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【60年代 ザイラーブーム】きょうは、冬季オリンピックにちなんでこんなニュースを蔵出ししました。1957年、羽田。飛行機から降り立った男性。彼の名は、トニー・ザイラー。オーストリアからやってきたスキーの選手です。56年にイタリアで開かれたコルチナ・ダンペッツォ冬季五輪で初のアルペン三冠王に輝いた名選手です。そのルックスをかわれて映画にも出演。レコードまで出しちゃいました。タイトルは、なぜか「黒い稲妻」ザイラーのおかげで多くの若者がウィンタースポーツの楽しさに目覚めたんですね。

森アナトニーザイラーですが、実は長野オリンピックでも来日し、エキシビションで華麗な滑りを披露しています。

原元 「それにしても、スキーの選手が映画に主演したり、レコードを出したりするとは今では考えられないですよね・・・。今で言うカリスマ・スキーヤーだったんですね。」

★ザイラーが設計したスキー場。八ヶ岳ザイラーバレースキー場がある

★日独合作映画「銀嶺の王者」に主演。鰐淵晴子と共演。何かと日本では人気者。


2002.2.7

これでどうだっ!?昨日本当に髪型直してきました!

耳のところの毛がパーマがかかり過ぎて丸まって、ダッコちゃん(©タカラ)の耳みたいだったのを真っ直ぐに。で、ピーンと直毛だったエリ足にパーマをかけてみました。もう火事にあったの?なんて言わせませんっ!

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「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1984年 宇宙遊泳】冷戦真っただ中の60年代。アメリカとソビエトは、宇宙開発競争にしのぎを削りました。最初に成功したのは、ソビエトでした。1965年3月、命綱をつけたレオノフ飛行士地球のはるか上空で人類初の遊泳に成功、10分間の宇宙遊泳です。3か月後にはライバルのアメリカも成功。記録もソビエトの倍以上となる21分いずれも命綱がついていました。

そして1984年。スペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げられました。

最大の任務は、通信衛星の宇宙への放出。でも、もうひとつ、アメリカの威信をかけたプロジェクトがあったのです。それは・・・、命綱なしの宇宙遊泳です。18年前のきょう、背中に噴射装置を付けた宇宙飛行士2人が自由自在の宇宙遊泳を成功させたのです。そして、レーガン大統領との交信で、こう答えました。「壮観な眺めが広がっていてとてもいい気持ですよ人類未到の宇宙の扉をまたひとつ開いた思いです」

シャトルからの距離、実に91メートル人類初の宇宙遊泳から、19年後の出来事でした。

森アナ91メートルも命綱なしなんて、怖そうだけど、気持ち良いのでしょうね〜。

原元 「勇敢ですね。この2年後、チャレンジャーは爆発事故を起こし、宇宙開発は一時足踏みしましたが、今は、宇宙ステーションの建設など、宇宙開発の夢は続いています。」


2002.2.6

番組直前にメイクを終えて、日テレ報道フロアに戻ってきた私にスタッフのこの言葉・・・。

「どうしたの?火事にでもあったの?」

「○○さん、それ言っちゃあ、かわいそうだよ。俺なんかウソくさいからお世辞も言わないようにしてるのに・・・(笑)」

なにもそこまで言わなくても!と鏡を見ると・・・。

頭のトップの方が鳥の巣状態で、下の方がピーンと直毛。ぐわあっ!まぎれもなく『かまやつ』っ!?

「今日絶対美容室行って直してきますから、今日が見納めですからっ!」と答えて本番に向かった。

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【60年代 スキーブーム】1962年。日本は時ならぬスキーブームに沸いていました。それにしても、すごい混雑。そんなもんだから、とうとう、こんな看板まで登場しちゃいましたよ。自分の穴は埋めましょう」。新潟の豪雪地帯、守門村。村役場と村人達が工面した1200万円でリフトが建設されています。スキーブームの波にのろうと村をあげての誘致作戦なんです。また、スキー場に行けない人のために、川崎市に人工のスキー場がオープン。ブームでスキー人口は増えたものの、けが人の数も増えた年でした。

森アナ「僕は自分で掘った穴を埋めるの専門ですが、原元さんは?」

原元 「私は大学時代スキーのサークルでしたので、そこそこ滑れるとは…。でもね、森さん、私番組で『スキー日和』という言葉を使っていたら、若い人から、『今はスノボ日和って言うんですよ』って言われたことあります。私自身が、『蔵出し』ですかね(泣)。


2002.2.5

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」     

【1960年 風邪が大流行】1960年、立春も過ぎたというのに、流感は、全国的に猛威を振るっていました。生徒の集団欠席は続き、全国およそ1200校で学級閉鎖となりました。

阿部アナということで、風邪予防に効く食べ物をご紹介します。まずニンジンビタミンAを含む食べ物は、鼻や喉の粘膜を丈夫にします。」

原元 「ニンジンは油と一緒に摂ると効果的だといわれているので、炒め物なんか最適ですね。

阿部アナ「次はイチゴミカンなどですね。ビタミンCを含む食べ物は、ウイルスへの抵抗力を強めます。

原元 「風邪を引いて食欲が無くなってしまっても、この甘い香りで食べられそうですね。

阿部アナ「そして、ほうれん草カボチャ。こちらの食べ物には、ビタミンAとビタミンCの両方が含まれています。」

原元 「ほうれん草などがありますね。実は私年末すごい風邪を引いてしまったんですけれど、ほうれん草をたくさん食べて直しましたよ。まだまだ寒い日が続きますが、みなさんも風邪にはくれぐれもご注意下さいね。」


2002.2.4

おめでとう!!みねちゃん!福はうちーっ!!

原元 「昨日は節分でしたねぇ。」

阿部アナ「私は昨日豆撒きして、ちゃんと年の数だけ食べましたよ。

原元 「うっ、さすが若いですね。」

中嶋さん「私は今日やろうかなぁと」

原元 「中嶋さんは今日が誕生日ですから、豆の数が一つ増えますね。

中嶋さん「(照れて)あ、はい。

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「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1974年 物価Gメン登場】28年前はインフレの日本でちょっと変わった現象が起きました。オイルショックが産んだ異常なほどの物価高。トイレットペーパーや洗剤、灯油など生活に必要な物が手に入らない。「商社は買い占めやめろ!買い占め反対!」物不足に拍車をかける企業の買い占めに、庶民が立ち上がります。便乗値上げをした洗剤メーカーに、主婦達も猛抗議。

また、灯油を大量に不法貯蔵し、摘発されるなんていう事件も起き、さすがに国も重い腰を上げざるおえません。そこで誕生したのが「物価Gメン」です。あくどい業者を取り締まります。そのほか、「生活安定Gメン」なるものも登場。当時、便乗値上げの横行に、値段の標準価格の表示が義務づけられました。正しい値段で物が売られているか、Gメンが目を光らせます。まさにGメン’74ですね。

原元 「値段が急に上がるなんて家計を預かる主婦には切実ですよね。

阿部アナ「はい。こちらは1973年から74年にかけてガソリン1リットルあたりの価格の移り変わりなんですが、64円が1年たらずで111円ですよ。今よりも高いなんて問題ですねぇ!」

原元 「価格もそうですけど、最近の情勢をみてますと、消費者にとって、安心して買い物ができるようなGメンが欲しいですね。」


2002.2.1

やってしまった、「EXCUSE・み〜すっ!」

番組のオープニングを見て「ありゃ?」、と思われた方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

原元 「2月1日、木曜日『ニュース朝いち430』です!」

ああっ曜日を間違えるなんて、朝の番組では有り得ないミスを犯してしまいまいたっ・・・。

原元   「高塚さん、今日私、番組の冒頭で、『木曜日』と言ってしまいましたが、本当は『金曜日』の間違いですね。大変失礼致しました。」

高塚さん「ま、人間誰でも間違いはありますよ。」

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「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」  

【1954年2月1日 マリリン・モンロー来日】48年前のきょう、日本中がマリリン・モンローの虜になりました。モンローは、この2週間ほど前に大リーグ・ヤンキースの名選手ジョー・ディマジオと電撃結婚したばかり。日本訪問は2人のハネムーンも兼ねていました。モンローの人気が自分よりもすごいので、夫のディマジオが焼きもちをやいた、なんていう話もありました。

森アナディマジオとは、この年の秋には、早くも破局。その後劇作家のアーサー・ミラーと結婚しましたが、これもうまくいきませんでした。」

原元 「華やかなイメージとは裏腹に私生活では孤独だったと言われていますよね。1962年に、36歳の若さで亡くなっています。

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