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2001.12.28

今日が仕事納めですぅ!!そこで番組でご挨拶。

原元 「年内の『ニュース朝いち430』の放送は、今日が最後となりましたが、お二人はふり返ってみてどうでしたか?」

高塚さん「いやあ、特に10月にこの番組が始まってからはあっという間でしたねぇ。とにかくすごい早起きで・・・。」

森アナ 「来年も頑張りますよ〜!」

原元 「私はというと、来年は『午年』だけに、もっとしっかりと番組の手綱をさばいていきたいと思いますッ!(バシっと隣の森アナを叩いて)時には森さんに厳しいムチも振るいますよぉ。」

来年は1月7日(月)からの放送です。来年もどうぞ見てくださいね。

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1961年12月28日  テレビ普及で消える紙芝居】今日は、30代以上の方たちにとっては昔懐かしい話題です。おや、太鼓を鳴らしながら謎のおじさんがやってきました。遊んでいた子供たちがみんな集まってきます。5円払ってお菓子をもらい、いよいよ始まります。そう、紙芝居です。子供たちの目も真剣そのもの。最盛期の昭和22年頃は、東京だけで50万人もの子供が見てたそうです。

しかし、そんな紙芝居にも強力なライバルが現れます。テレビの登場です。人々はブラウン管からあふれ出る躍動感ある映像に釘付けになりました。戦後の復興期、子供たちの心を捉えた紙芝居ですが、高度経済成長の象徴ともいえる、テレビの登場とともに、その姿を消していきました。

森アナ「今日は特別に紙芝居をお借りしてきました。

原元 「わあ、年季が・・・!」

森アナ「この紙芝居、東京下町で40年、紙芝居師として活躍した森下正雄さんからお借りしました。森下さん、現在ではすでに引退なさっているのですが、大人気だったんですねえ。

原元 「だいぶ角が丸くなっていてますね。」 

森アナ長年使っているうちに角が丸くなってしまったんだそうですよ。それだけたくさんの子供達に見られてきたということなんですね。」 

*森下さんは昭和20年代、紙芝居師3千人ぐらいで競われた大会で、見事入賞しています。森下さんはテレビにも多く取り上げられ、今年10月にも、日曜昼にやっているCX系『ノンフィクション』にて「声を失った紙芝居師」として取り上げられています。


2001.12.27

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1979年12月27日  ソ連、アフガンに侵攻】22年前のきょうソビエトがアフガニスタン首都カブールに侵攻しました。侵攻前ソ連は、そもそもその影響力を示すため経済や軍事面での援助を行っていました。きっかけは、ソ連離れを進めるアミン政権の誕生でした。ソ連は、国内の反アミン勢力と結んで軍事クーデターを成功させ、侵攻を開始したのです。

ソ連の兵力は当初8万人以上3年あればコトは済む」と考えていました。しかし…。で物資の補給路が使えなくなるので心配だ」「切り立った斜面には狙撃兵が潜んでいる」など、山岳地帯を中心に展開するゲリラの抵抗は予想に反して強く、徹底抗戦を誓うものでした。

「東西冷戦」の下、アメリカがゲリラ側に武器を供給し、周辺諸国のイスラム教徒もこの闘いを「聖戦」と位置付け、激しい抗議行動を繰り返しました。戦いが長期化する中、ゴルバチョフ政権が誕生。東西の雪解けに向けて歴史が動き出します。そして撤退・・・。

1989年2月、9年1か月に及んだアフガニスタン侵攻が終結しました。残されたのは廃虚となった町。かつては学校だった建物も・・・。家を追われ、戦争とともに育った子供たち。今どんな大人に成長しているのでしょうか?

森アナ撤退完了から12年たちますが、ご存知のように、アフガニスタンには今も平和が訪れていません。」

原元 「アフガン難民の誰かが以前、インタビューで「生まれたときから戦争だったから平和がどんなものか分からない」と言っていたのが、印象に残っています。」

*この時の侵攻で、およそ600万人が難民に、今も増え続けている。


2001.12.26

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1960年代の12月 帰省ラッシュー上野駅 】60年代、お正月に向け、里帰りする人はこんな感じでした。帰省しようと切符を求める人の行列!寝袋も用意して準備万端。列車を待つ人が集まっています。テントをはって寒さをしのぎます。花札で時間を潰したり、お弁当食べたり、待つのも疲れますねえ。大きな荷物といっぱいの人で、列車の中もぎゅうぎゅうです。

高度経済成長の時代。マイカーの普及で、車で帰省なんて人も増えました。ガソリンスタンドも車でいっぱいです。そして夜行バスに乗って、帰省する人たち。「帰省バス」ではなく、「帰郷バス」です。で、すっかり都内は静かになりました。

森アナ「僕、ちょっと関東出身なんで、帰省の混雑とかあまり記憶に無いんですけど・・・」

原元 『ちょっと』ってなんですか?(笑)私もそうなんですけど。今は、年末年始の期間が長くなってますから、昔ほど大混雑はないですよね。」

アナ「今年の帰省のピークは29日で、Uターンラッシュは1月3日からだそうです。


2001.12.25 Merry Xmas!

どうにもこうにもカラダが辛い・・・。

12月に入ってから先週まで、忙しすぎてまともに寝ていない。ひどい時には、一日の睡眠がたった40分・・・!

今日番組中に気持ちが悪くなり、机にひじを突いて姿勢が段々前かがみに。お前はみのもんたか、愛川欽也かって感じ。でも、とうとう立ってられなくって、しゃがみこんでしまいました。顔が出るときだけパッと立ち上がって無理に笑顔を作ってはみたものの、カメラさんから、「大丈夫ですか?顔が青白いので、実はカラーバランスでちょっぴり赤味を強くしてたんですけど・・・」と気を使って頂きました。

あ〜情けないクリスマス。うんにゃ、クルシミマスか・・・(ふるっ!)

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1956年12月25日 昔のクリスマス風景】今日は25日、きのうのイブに続いてクリスマス本番です。そこで50年ほど前のクリスマスの様子を蔵出しの映像で振り返っちゃいましょう。おや!みんな上を見上げてますね〜。何をみてるんですかねえ?ああ!こりゃまた大きいサンタさんだなあ!街はクリスマスムード一色。ほら!おでんを食べてる人たちもパーティーハットです!何か時代を感じさせますねえ。

ほかにもこんな風景が。白いヒゲをたくわえたおじいさんが、いっぱい集まっています。これ実は、サンタさんのオーディションです。サンタと言うよりは、仙人みたいですけどね。でもクリスマスと言えば、一家団らんでプレゼント交換!やはり基本はこうありたいですね。

原元 「わあ、阿部さん、その格好はなんですか!?

阿部アナ「(真っ赤な帽子、白ひげに眼鏡)はい。来年はみなさんにもっと良いニュースをプレゼントできるようにとサンタの格好をしてみました。原元さんこそ!」

原元 「(ピンクの仮面に緑のショール姿)私は、VTRにもありましたがダンスパーティーで盛り上がる当時の人たちの雰囲気を再現してみようと・・・。」

阿部アナ「じゃあ、原元さん、来年は「唄って踊れるニュースキャスター」を目指すなんてどうでしょうか!?(笑)」


2001.12.24

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1988年12月24日 徹夜国会で消費税成立】13年前のきょう、ある法案の強硬採決に反対する野党議員らが、壇上に詰め寄ります。竹下総理大臣が進めたその法案とは? ヒント。1円玉が7億枚増えました。そう!消費税です。消費税 3%

さかのぼる事3か月程前。消費税導入の審議は、大詰めを迎えていました。社会党など野党が法案の成立を阻止しようと「牛歩」戦術に出ました。徹夜国会の始まりです。議員さんもお疲れで、そして夜が明けました。25時間50分。法案は成立。長い一日が終わりました。

阿部アナ先ほどの牛歩で最後に投票したのはの共産党の議員だったんですが、階段6段上がるのに6分もかけたそうです。一段上がるたびに自民党の議員から「よいしょ」の合唱がおこったそうです。」

原元 この9年後の97年には、税率が5%に引き上げられましたけど、この時ほどの騒ぎにはなりませんでしたね。」


2001.12.21

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1976年12月21日 宝くじ狂乱】25年前のきょう、夜明け前の後楽園球場は大混乱でした。寒空の下、徹夜で待ち続ける人。人。人。 

この行列、宝くじの発売に並ぶ人なんです。そのわけは…一等1000万円の当たりくじがこの年、一気に40本に増えたのです。車10台買える当選金に、多くの人が殺到しました。行列といったモノはなく、ただ人の波。早く買いたいとお互いが罵りあっているのです。警官隊も出動しましたが、混乱は収まりません。こうした光景は、全国の売り場で見られ、この日だけで40人以上が負傷、男性2人が亡くなりました。

原元 「今年の年末ジャンボの発売は今日までですが、私、買ってしまいました!3枚!!

森アナ「ん・・・(たった3枚?)」

原元 当たると思ってもう使い道は決めてありま〜す。」

森アナ「ほおっ、何買うんですか?」

原元 「森さんにもっとカッコ良いスキー帽を買ってあげますよ!(ふっふっふ・・・)」

森アナ「はは〜っ。(90度のお辞儀!?)」

*東京の後楽園球場だけで7000人が徹夜。さらに、大阪の売り場には、なんと3万人が徹夜。1個中隊100人の機動隊員が出動。発売日の混乱ぶりを受けて翌年からは、「予約制」が導入されたほどでした。

*亡くなった2人は、あまりの混乱に発作を起こした模様。(松本市の老人、福岡市の中年男性。)

去年の年末ジャンボ、1等2億円の当選144本のうち9本が換金されてないそうです。思い当たる方、もう一度チェックした方がよさそうですよ。


2001.12.20

昨夜の神楽坂女声合唱団クリスマスディナーショーの様子を、なんと自分の番組で紹介することになりました!

原元 「(『マイウェイ』をソロで歌い上げる土井たか子さん)日頃演説で鍛えた美声を披露しているのは、社民党党首の土井たか子さん。こちらのディナーショーは、収益を恵まれない動物に役立てようと、料理研究家の小林カツ代さんを団長に、女優・弁護士・医者・新聞記者など、各界で活躍する女性が美声(!?)を競うというものなんです。」

森アナ「(ノリノリで歌う原元を画面中に見つけ・・・)あれっ?て、原元さん!?

ここでVTRが終わりスタジオが映ると・・・!

原元 ハイ、実は私もメンバーなんです。じゃ〜んッ!asaichi2001.12.20.jpg (23332 バイト)

森アナ「あっ、ちょっと原元さん、何ですかそれっ!?

原元 「はいはい。ちょっと衣裳を着てみました。これ、メンバーのコシノジュンコさんデザインのものなんですよ。(どこれ?)」

番組を見た人から「あれは収録してたの?」と聞かれましたがとんでもない!!全部ナマ!

たった1分間のVTR中、原稿を読みながら突如スーツを脱ぎ、いざ衣裳に早変わり!

しかし、本当に大変なのはその後!1分半のお天気の間に場所を移動してニュースを読まなければならないのです。歩きながら衣裳を脱ぎ捨て、ジャケットを羽織りなんとか間に合いました。でも、第3ボタンが外れていました・・・。あしからず。

*

  原元  「今日お終いの話題は、冬の鍋物に欠かせないセリの収穫の最盛期です。」

斎藤さん「きょうは気温とお天気の関係から、オススメ鍋は『おでん』です!」

森アナ  「僕、『一人で鍋』よくやりますよ。」

  原元  「今日はじゃあ、コンビニでおでん買って帰らなきゃっ!」

斎藤さん「ふっ・・・。(味気ない笑顔)」

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1952年12月20日 シーラカンス発見】 1981年「12月」。アフリカの南東インド洋に浮かぶコモロ諸島、そこで日本の学術調査隊がちょっとグロテスク大きな魚を釣り上げました。実はこれ、世にも珍しい「生きた化石」そう!シーラカンスです。 

そもそも、シーラカンスが発見されたのは、1936年の「12月」。「動物の祖先を辿っていくとシーラカンスの仲間に至るのです」と、ジェームズ・R・B・スミス博士。発見から14年たったこれも、1952年「12月」、スミス博士が、シーラカンスの捕獲に成功。多くの学者が色めきだち、世界中で、「生きた化石」探しが始まりました。日本も言うに及ばず、調査チームを結成し、世界で初めて悠々と泳ぐシーラカンス撮影しました。

森アナ泳いでいる生きた化石、初めて見ました!」 

原元「ずいぶん変わった泳ぎ方ですね〜。

アナ普通、魚は主に尾びれを使って泳ぐんですが、シーラカンスは、尾びれは殆ど動かさずに、背びれなどを上手に使って泳ぐんですね。」

原元 現在は、ワシントン条約で取引が禁止になっていますから、捕獲される心配もなく、悠々と海の中を泳いでいるんでしょうね。


2001.12.19

今日は待ちに待った神楽坂女声合唱団、2年目のクリスマス・ディナーショーです!!

昨年と同じ東京・恵比寿のウエスティンホテルを会場に、今年もまた恵まれない動物の為にチャリティーコンサートを行います。

この日の為に夜遅くまで特訓を重ねました。私なんか普段深夜1時に起きて仕事に行くもんだから、練習がある日はほとんど寝られないし。12月に入って、一日2,3時間しか寝ていないが、昨晩なんかたった40分だっつーの!!本番中に倒れるかもしれんなこりゃっ・・・。

2001.12.19d.jpg (26543 バイト)と番組終了後、不安を抱えながら会場へと向かう。

今夜お客様にお出しする予定のディナーを試食がてらの昼食。といってもお代は自腹。さすがチャリティー合唱団!く〜っ。

母ちゃんは今年もまた観に来てくれた。カメラ持参で!おおっ、勇姿を納めようというのだなっ!じ〜ん。と思ったら・・・

 母 「はい、コレ。」

 私 「ん?なんで私にカメラを渡すの?」

 母 「私を撮って。」

 私 「はぁ?」

 母 「だからぁ、客席にいる私を撮るのよ、あんたが。」

結局母ちゃんはこの日私の写真なんか一枚も撮らなかった・・・。(ので、この写真は自分で撮りました)

*

そして開演。いざステージへ向かう。総勢67名が勢ぞろい・・・、のはずが!2001.12.19f.jpg (15397 バイト)

司会 「大変申し訳ありません。一人遅刻のようです。」

すると、客席横の扉が勢いよく開き、「総理、総理、総理!」と辻元清美氏が駆け込んでくる。

司会 「辻元さ〜ん、遅刻ですよ。」

辻元 「アッ、アイム・ソーリー(総理)!?」

はい、場内爆笑で、ツカミはOKでした。

そこで、声も高らかに第1曲目「♪もろびとこぞりて」。そして「♪サンタが街にやってくる」。昨年よりは進歩した(!?)歌声をお聞かせしなければと必死で歌う私たち。600人ほどの会場のお客様も「大丈夫か?」と必死で聴いて下さる。この妙な緊張感、連帯感が私達合唱団のステージの最大の特徴であろう。

カツ代団長 「なにを間違えたか、『綺麗』なんて言って下さる方もいらっしゃるのですが、目の検査をした方がよろしいかと思います。なかなか聞きなれない言葉でございます。今年もまた怖いもの見たさの方々にお集まりくださいまして(笑)」

「今回初の試みとして、合唱団の『団歌』を作りました。『2001年度版』ということで、動物を守りたいという私達のテーマに、世の中の平和を願う気持ちを重ねたものです。」

カツ代団長が徹夜で作詞した曲である。

「♪海には魚たち 空には鳥が鳴く」と始まるこの曲の歌詞には、「この緑の小さな星に今日も生きるものたちの 祈りの声を聞いておくれ」、「与えられた命のために いくさをやめて 歌っておくれ」と、私達のメッセージが込められています。

ハーモニーとかリズムとか難しいテクニック(!?)は二の次にして、メンバー全員歌詞を暗記し、心の底から祈りを込めて歌いました。この曲を歌うときだけ、我ら合唱団は演歌の集団と化します。あしからず。

司会 「さて、昨年のディナーショーの収益は、恵まれない動物の為に役立ててもらおうといくつかの団体に寄付をさせて頂き、そのお礼のお手紙を頂戴しました。そして、また今年も我ら合唱団に、『困っている動物からの手紙』が届きました。では、『人間からの手紙』を女優の竹下恵子、『動物からの手紙』を倍賞千恵子がご紹介致します。」

海ガメの産卵を守る会の方々をはじめ、三宅島の被災動物や地域猫の避妊手術を進める会などから届いた手紙を、ピンスポットを浴びて竹下さんが優しく読み出す。

竹下 「神楽坂女声合唱団の皆様、昨年は私達の活動にご理解とご協力をありがとうございました。(中略)『日本海ガメ協議会会長、亀崎○○より』・・・、ペンネームではありません。

オチがついとんのかいっ!

そして、神楽坂女声合唱団名物「動物からの手紙」倍賞さんが朗読。ちなみに、今年は都会のカラスジュゴンからの手紙が届いたようである。

2001.12.19e.jpg (15991 バイト)倍賞 「神楽坂女声合唱団のみなさまは、私達ジュゴンに体型が似ていらっしゃる(!?)ことから親近感を持ってくださったのか・・・、」

美しい海でしか生きられない為、絶滅の危機に脅かされているジュゴンの運命を切々と訴えながらもこのジョーク、さすがです、倍賞さんっ!

時に語りかけ、時に歌い、そして口笛でホトトギスの鳴き真似をする・・・、もう会場は倍賞さんの繰り広げる世界に酔いしれてました。同じステージに立ち倍賞さんを誇らしく思いながらも、「ああ、私はあのように語りかける力を持っているだろうか・・・」と自分を歯がゆく思いました。

そして、お次も神楽坂女声合唱団名物、「新・ドレミの歌」「今回は放送関係者を集めました」というMCの通り、ソロパートはアナウンサーや番組プロデューサーなどが担当するのである。私はなんと夏の名古屋公演と同じ「ド」のパートを歌うことになっているのである。そして歌う前に自己紹介。

「NNN日本テレビ『ニュース朝いち430』のキャスターをしています原元美紀です。明日も朝4時30分から生放送です。」

            えっ!?朝4時30分?

                                    寝られないじゃんっ!!

                     マジ!?

会場どよめき・・・。そりゃねっ!4時だもん・・・、はぁ〜。

  「♪ドは動物のド」・・・・・・・・・・・・原元美紀(フリーアナウンサー)

  「♪レはレスキュー犬のレ」・・・・・堀越むつ子(テレビ朝日アナウンス部長)

  「♪ミは三毛猫のミ」・・・・・・・・・・竹野恵子(NHK職員)

  「♪ファはファロージカ」・・・・・・・・安藤和津(エッセイストタレント)

  「♪ソはソマリライオンのソ」・・・・大下容子(テレビ朝日アナウンサー)

  「♪ラはラッコのラ」・・・・・・・・・・・山王丸和恵(日本テレビアナウンサー)

  「♪シはシマウマよ〜」・・・・・・・・川口淳子(NHK「」きょうの料理」ディレクター)

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ちょっと一息。山田邦子さん主演のコント。母親役は土井たか子さんっ!

一人寂しいクリスマスを過ごすことに焦っている邦子さんに、友人役の辻元清美さんが超イケメンを紹介するが果たして・・・!?

山田 「母さん、清美ちゃんがね、すんごくいい男を紹介してくれるのよ」

土井 「あんた、ばかねえ。本当に良い男ならあの清美ちゃんが他人に渡すはずないじゃない。あの子はああ見えて結婚願望が強い子なんだから。」

舞台袖にいた辻元さんに「ホントですか?」とつい聞いてしまった。辻本さんは「そうだったのか・・・」と自分でもはじめて気づいた風に苦笑していらっしゃいました。

山田 「も〜、母さんみたいな人にはわかんないのよ。このトキメキがっ!」

土井 「何言ってんだい。私が昔ときめいたからアンタが産まれたんだろ。」

おおっ!土井さんの思わぬ下ネタ(!?)に会場もどよめいた。(笑)

そして、クライマックスは、今日この日の為に半年間特訓したあの曲、「アヴェ・マリア」(日本語版)!!

ちなみにこの曲の前半は、聖母マリアの元へ天使が舞い降り、「あなたはイエスを身ごもりました」と『受胎告知』をする有名な場面の歌である。つまり、マリアを祝福する天使に成り代わって歌わなければならないのだっ!出来るかいっ!(笑)

2001.12.19g.jpg (20924 バイト)しか〜し、指導してくださる先生方からは、「みなさんは、後半の歌詞の『民衆』が救いを求める方は適役なんですけどね。早く汚れを落としたくて焦ってる(!?)みたいなところはやり過ぎですが・・・。」

との評価を頂きました。ア〜メン。(変な祈りを込めて・・・苦笑)

カツ代団長 「昨年私ども合唱団のプリマドンナとしてこの方にソロを歌っていただきましたら、大変ご好評で、今年も・・・。」

土井さん 「『プリマドンナ』なんて言われましたけどね。私は国会で怒ってばかりですから、『プリマドンナ』の『プリプリ』は判るんですけど、私、普段はちっとも起こってないんですよねぇ。」

そして、『♪マイ・ウェイ』の熱唱!!(TVのニュースでご覧になった方も多いと思います。)

「♪わたしたちには 大事な夢が あるから 信じた この道を 私達は 行くだけ 全ては 心の決めたままに」

コンサート終了後、明朝の番組出演の為に日テレに直行。ああ、今夜もまた寝られない・・・。

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(最前列で両手でピースをしているのが私。クリックすると拡大します。)

*

しかし、本当に驚いたのは、ディナーショーの翌日、家に帰ってからであった。

母 「あのさあ、アンタ達が歌いながら客席降りてきたじゃない。ちょうど私の横を土井たか子が通ったのよぉ。だからついベタベタ触っちゃったぁ。」

私 「ええっ!!なにそれ、みっともない。アタシの親だってバレなかったからいいものの。」

母 「ううん、お母さん、『原元の母でございます』って言ったもの。」

私 「んなアホなっ・・・!」

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1990年12月19日 緒方さん高等弁務官に指名】1976年4月。一人の女性が日本初の国連大使としてニューヨークに向かいました。この14年後の1990年12月19日、国連高等弁務官・緒方貞子の誕生です。

就任からわずか1ヶ月後湾岸戦争が始まり、最初の仕事はイラク軍の弾圧から逃れてきたクルド人難民の救済でした。精力的に世界各国の首脳と会談。難民たちへの物資の援助や医療チームの派遣などを実現させました。

就任当時1800万人だった難民の数は、皮肉にも10年後に任期を終える頃には2200万人にまで急増していましたが、難民のいるところ、常に緒方さんの姿がありました。在任中の1996年にはユネスコ平和賞を受賞。そのほかアメリカやロシアなどからも、その活動は高く評価されました。

森アナ「ある統計によれば、現在、内戦などで自分の家を追われた人の割合は世界で130人に1人に達するということです。」

原元 「去年任期を終えた緒方さんですが、先月アフガニスタン支援に関する政府代表に任命されましたよね。緒方さんたちの努力はまだまだ続きます。」

*世界難民白書に、「難民問題を無視すれば、危難を受けるのは私たち自身であり、人間の安全保障なくして平和も安定もありえない」とある。

*今年で緒方さんなんと、74歳!まだまだ現役で世界中を飛び回る。


2001.12.18

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1956年12月18日 日本、国連に加盟】45年前のきょう、ニューヨークに建つ「国際連合」のビルに日本の国旗が掲げられた。戦後すぐ、戦争の防止と世界の安全保障を目的に発足した国連。そこに参加することが日本の国際社会復帰の命題でした。

アメリカのトルーマン大統領が対日講和条約の批准書に署名。占領下にあった日本は、これでアメリカからの独り立ちを果たしました。そして4年後には日本の加盟に反対していたソビエトとの国交を回復。時の総理、鳩山一郎がモスクワで調印式に臨みました。2ヵ月後の、12月18日、日本の加盟は全会一致で可決され、80番目の国連加盟国となったのです。戦後11年目のことでした。

杉上アナ「当初51ヶ国で発足した国連ですが、56年の歴史の中で、加盟国は現在189ヶ国に上っています。

原元 「国連は、今年ノーベル平和賞を受賞しましたが、パレスチナ問題をはじめ、世界各地で地域紛争が起きている今、国連の役割、そして日本の役割がさらに期待されています。


2001.12.17

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1969年12月17日 テレビ政見放送開始】 32年前のきょうは、ここ日本テレビで歴史的な出来事があったんです。時の総理、佐藤栄作が衆議院を解散。そんな中、日本テレビでは新しい番組の準備が進んでいました。メーキャップに余念がない男性・・・。ちょっと塗りすぎじゃないですか。さて、何の番組なんでしょうねぇ。ディレクターの「スタート!」の声で、ハイ!本番。

これ、今ではすっかりお馴染みとなった「政見放送」だったんです。持ち時間は、ひとり4分30秒。「テレビ選挙時代」の到来です。結局、この時の選挙は自民党の圧勝で終わりました。佐藤総理も上機嫌。この時の政見放送が選挙にどれだけ影響したのかは分かりませんがテレビによって選挙が少し親しみ安くなったのかもしれませんね。

杉上アナこの時の視聴率は、首都圏で平均6.4%地方ではなぜか40%を超えたんだそうです

原元 「随分と注目されていたんですね。候補者にとっては、いっぺんに全国の有権者訴えられるわけですからその分、メーキャップに力が入ってしまったのかもしれませんね。」


2001.12.14

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1962年12月スモッグ連日発生】39年前、冬になるとスモッグ煙霧が発生。年の瀬になると、生産を上げる工場。1年に10万台増える車の廃棄ガス、ビルの建設や地下鉄工事が理由でした。目や喉の痛みを訴える子供も多く、保健室や町の目医者さんなどは連日大忙し。スモッグの為に電車までストップです。

奇しくもこの年、東京の人口は1000万人を突破。日本は高度経済成長のただ中にありました。そんな中、登場したのが人呼んで「煤煙Gメン」!実は東京との職員で、大気汚染の実態を探るために調査に乗り出しました。一方、街には「電話ボックス」ならぬ「酸素ボックス」が登場。中に入ってスーハースーハー。でもお金を払ってまで酸素を吸う人はあまりおらず、あっという間に姿を消してしまったそうです。

森アナ 「それにしても凄かったんですね。ちなみに『スモッグ』は、この年、『青田買い』『ハイ、それまでよ』とともに流行語にもなったのです。」

原元 「最後に出てきた『酸素ボックス』ですが、最近酸素を吸ってリラックスするお店も登場していますので、目に見える汚染は減ったといっても、今に通じる問題なのかも知れませんね。

 


2001.12.13

今日の番組のオ−プニングはこんな趣向で。

原元  「今年一年を漢字一文字で表すとしたら?ちなみに一番多かったのは「戦」、次に「狂」、「乱」でした。いずれも世相を表すものですが、そこで、お二人は?」

高塚さん「僕はやはり気象に絡めて、『寒』!この12月は寒いですし、先日札幌で記録的な大雪となりましたからねぇ。」

原元  「森さんは?」

森アナ 「僕は、『濃』!!新人なので、なにかと濃い一年でした。」

原元  「 『顔が濃いー!?』の間違いでは・・・。で、私はというと、『愛』かな〜?『愛子さま』の愛。

二人  「・・・。」

原元  「いろいろなことあっても最後はやはりこれに尽きるかなあと。今年の締めくくりにふさわしいのではないでしょうか。」

高塚さん「みんな自分の願望(自己愛)も入ってますねえ。」

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1985年12月13日 トキの「ホアホア」公開】16年前のきょう、トキのホアホア(華華)がお見合いの為に中国から新潟県佐渡までやって来ました。日本のトキの命運をかけた一大プロジェクトだったんです。トキはかつて日本の空を自由に飛んでいました。しかし乱獲や環境の悪化でその数は減り、最後の5羽が捕獲されたのが、1981年・・・。

絶滅の危機から救おうと、繁殖計画がスタートしましたが、国産のトキだけではうまくいきませんでした。そこで、中国からホアホアを呼んだのですが・・・。ペアリングは3年に渡って行われましたが、失敗に終わり、ホアホアはふるさと中国へと帰っていきました。

森アナ「この後も、トキの繁殖を目指してさまざまな試みがなされたんです。おととし99年5月にようやく二世が誕生。大きな話題となりました。」

原元「日本中で見守りましたね。それ以来、3年連続でトキのヒナが誕生しているということで、日本の空にトキが飛ぶ日が再び来ると良いですね。


2001.12.12

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1950〜1960年台 ボーナスあれこれ】きょうは42年前の年の瀬の風景。昭和30年代の師走の町はたくさんの人たちで賑わっています。時代は高度経済成長真っ只中。当時のニュースは好景気に沸く世の中を、こんな風に伝えていました。

「銀行の窓口は1・2千万と大口の札束が右へ左へと師走の町へ流れ出して行きます。そしてサラリーマン待望のボーナスの日、開けてビックリ、喜んだりがっかりしたり。借金取りも抜け目がありません。デパートはどこも超満員の盛況です。お歳暮や年始の贈り物の発注で店員は汗だくアルバイトの学生もサンタ姿でサービスに駆り出されました。」

森アナ勤め先にまで借金を取り来た女性がボーナスの袋を開けるのを隣で待っているなんてすごいですね。」

原元 「ちょっと怖かったですね(笑)でも、高度経済成長の中、消費を楽しむという風潮出てきた時代だったようです。」


2001.12.11

久々に出ました、「EXCUSE・み〜すっ!」

「日本の新しいロケット、・・・」

(はっ!「主力ロケット」だった。言い直さなきゃ!)

「新しいシュル、シュ、シュ、シュロクリョヶット・・・、」(アタシャなにゆーとんねんっ!)

ちなみに、読み間違えたアナウンサーは通常謝ったりしない。言い直した言葉より謝ったことが目立ってしまって、本来のニュースが伝わらず逆効果だから。けどね、だめだ、こりゃ〜。ひど過ぎるっ!

「失礼しました。『主力・ロケット』H2A2号機です。」

その後の「海洋深層水」は、今度こそちゃんと言えたんだけどな・・・。つぎ言ってみようっ!!

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「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1957年12月11日 100円硬貨登場】44年前にはコインひとつでいろんなことができたのです。昭和32年のきょう、初の100円硬貨が登場したのです。それまでコインといえば、5円玉か10円玉が主流でした。例えば、切符の券売機は一律10円、健康管理には1回5円の自動体重計。疲れている方にはマッサージ機。デート前の女性に人気だったのは、フランス製の香水の出る販売機。

そして、初登場の100円硬貨では、うな丼が食べられたんですね。この時代、コインは庶民の強い味方でした。

阿部アナ 「今日は、100円ショップで売ってる物を集めてみました!」

原元  「わ〜!この厚底ブーツも100円なんですか!」

阿部アナ 「はい、原元さんにプレゼントです。これを履けば・・・

原元  「・・・、素敵なクリスマスプレゼントをありがとう。これで阿部ちゃん(165センチ)と対等になれるわ。」

阿部アナ 「あぁん、嘘ですよぉ。」


2001.12.10

発行部数1100万部を誇る讀賣新聞の元日版特集、「新春座談会ITは政治を変える!?」の司会でおじゃりました。

河野洋平氏の息子さんで自民党の河野太郎サイバーテロの被害に遭われたばかりの民主党の島さとし、そして神楽坂女声合唱団でご一緒させて頂いている社民党の福島瑞穂という、政界のIT通と呼ばれる3人の若手代議士先生との座談会です。

なぜ私なんかが司会を?と思われますでしょうが・・・、この4人には共通点があるのです。

そりは、HPを開設していること!

「HPで直接国民に語りかけられるようになった功罪は?」「小泉メルマガって実際どうよ?」「『加藤紘一の』って結局何だったの?」「HPがきっかけで生まれた法案てっ!?」

など様々な体験を交えて、ITの活用は日本の政治をどう変えていくのかを語って頂きました。お3方とも本当に気さくなお人柄でした。時に笑い、時に熱く語り、政治家のパワーというものを実感させられた一日でした。

他にも、「各党のIT度は!?」「政界でのメル友なんているの!?」「河野氏が連れションをしながら、ある総理経験者に言われた一言とは!?」等々・・・。

答えは、2002年1月1日の讀賣新聞でっ!

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「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1968年12月10日 三億円事件】33年前のきょう、東京府中市にある東芝の工場で、1日遅れのボーナスが支給されました。実はこの前日、従業員のボーナスを積んだ現金輸送車が襲われたのです。

銀行を出てから5分、激しい雨の中を現金輸送車が府中刑務所の裏に差し掛かったとき、後ろから来た白いオートバイが現金輸送車の前に止まりました。白バイの男はこう言いました。「銀行の支店長宅で爆弾が爆発した。この車にも爆発物が仕掛けられているかもしれない」職員たちが慌てて逃げ出した後、犯人は車ごと現金を持ち去ったのです。

白バイのランプ、犯人が使ったメガホン、遺留品は100点以上にも上り、大規模な捜査が続けられましたが、犯人の手がかりはつかめず、事件は長期化する気配が漂い始めていました。事件から3年後には、「1千万人の大捜査作戦」と、東京・池袋のデパートで異例の展覧会も開かれました。あの白バイも展示されました。警察は会場を訪れた人たちにも捜査への協力を求めました。

しかし、時は流れ・・・。「やるべきことは全てやり尽くしたわけですから」、と発生から7年。三億円事件は時効を迎えました。

阿部アナ「この事件もきっかけとなって、現金を輸送するのに普通の乗用車ではなく、現在のような現金輸送車を使うようになったんだそうです。

 原元 負傷者ゼロ。犯行時間3分。犯人の数不明というめいたこの事件は、当時の話題を独占しました。」

*この事件で有名になったものは、犯人が逃走に使った車カローラ、そしてモンタージュ写真です。しかし、このモンタージュ写真は信憑性に欠けると、その後廃棄されました。

*刑事事件としては1975年、その13年後の1988年民法上での時効を迎えました。

「吉展ちゃん誘拐事件」で名を馳せた鬼刑事平塚八兵衛の唯一の汚点となりました。


2001.12.7

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1957年12月7日 長嶋茂雄ジャイアンツ入団】「本塁打8本」「2度の首位打者」など東京六大学野球で華々しい活躍をとげた若き日のミスター長嶋茂雄は、当時21歳。立教大学の4年生でした。早くも大物ぶりを感じさせていたこの若手プレイヤーが、卒業後どこの球団に入るのか注目の的でした。そして44年前のきょう。長嶋は「読売巨人軍・入団」の会見を行いました。巨人軍は当時としては、破格の契約金2800万、年俸180万を用意したといわれています。

記念すべきオープン戦。背番号3の長嶋は2ランホームランの活躍を見せます。公式戦初試合では、新人としては大抜てきの3番打者しかし、国鉄の大投手・金田の前に全く歯が立たず、4打席とも三振屈辱のデビューとなってしまいました。歴史に残る試合も経験しました。昭和天皇をお迎えしてのプロ野球初の天覧試合。9回裏巨人の攻撃。ピッチャーは村山。長嶋、堂々たる決勝ホームラン。天覧時代にふさわしい名勝負でした!

その後の活躍は、みなさんご存知の通り。現役生活17年、ミスタージャイアンツ長嶋茂雄は様々な伝説を残しました。

森アナ「記憶にも記録にもすごい選手だったんですね。

原元「9月30日には監督としても引退されましたが、今でもその人柄に親しみをおぼえている人が多いですよね。長嶋さんこそ、永遠に不滅の人、という感じですね。


2001.12.6

NYメッツの新庄選手がベストドレッサー賞を受賞!

実は、私が今通っている美容師Tさんが、この授賞式の新庄選手のヘアを担当しているのだ。そのTさんにこっそり新庄選手との会話の内容を教えてもらったのだが・・・。

T美容師 「新庄さんって、コメントがいつも面白いですね。」

新庄選手「あれねぇ、みんな僕が思いつきで言ってると思ってるだろうけど、違いますよ。前の晩から考え抜いているんですよ。僕は実は、計算高い男です。

T美容師 えっ!あそう・・・。(絶句らしい)」

まっ、まさか前の晩から考えてあのコメントなの!?さすがアメリカ人っ!!やっぱジョークもメジャー級??

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「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1950〜60年代 ニセ札横行で新千円札発行】昭和26年の東京。映画館の切符売場には「にせ千円札に注意せよ」の文字。八百屋さんでも「なるべく千円札はご遠慮下さい」との貼り紙が。実はこの頃、「ニセ札」、あの聖徳太子の千円札が日本中で見つかっていたのです。警察は捜査本部を設置して、本格的な捜査に乗り出すとともに、報奨金制度まで設けました。ニセ札を発見した人には1枚につき3千円以上の謝礼を払うというものです。

それでも捜査はなかなか進展しませんでした。そこで、昭和38年、伊藤博文が印刷された新しい千円札が登場しました。これでニセ札騒動もおさまるかと思いきや、しばらくすると、またニセ札が見つかってしまったんですね。

森アナ「僕はほとんど記憶に無いのですが、1000円札、夏目漱石の前は伊藤博文だったんですね。」

原元 「うっ(知らないって!?)、さすが森さん若いですね。その前が聖徳太子だったわけで、この50年の間に3回もデザインが変わったことになります。」


2001.12.5

なにぃ!?こりゃ、てぇへんだっ。

「週刊現代」の電車の中刷りに、「人気沸騰!新人巨乳アナの『全裸シーン』との見出し!

新人アナとはまさか日テレでは・・・?

でも、「M」ということは、阿部ちゃんでも、杉上ちゃんでもない。

んげっ!まさか・・・森くん!?

そういえば、「女子」とも書いてない・・・!!気が気じゃないと、本屋に飛び込む私を待ち受けていたものはっ!!

まんがの全裸シーン。

・・・?

な〜んだっ、『週刊 モーニング』で連載中のアナウンサーまんがのヒロイン美山幸子(みやまこうこ)の全裸イラストだった・・・。

もしやと思い手にした「現代」の裏を見ると、「発行元 講談社」の文字。なるほど、「モーニング」も、講談社である。

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「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1933年12月5日 アメリカで禁酒法全廃】68年前のきょう、「ついに廃止」と新聞の一面を飾るこの見だし。これまでの14年間アメリカでは「禁酒法」により、酒の製造および販売が禁止されていました。禁酒法時代は、マフィアの時代でもありました。酒の密造や密輸を牛耳って、巨額の利益を得たのが、あのマフィアのドン、アル・カポネです。彼もついには逮捕されましたが、警察や裁判所すら買収していたため、逮捕容疑は、「禁酒法違反」ではなく「脱税」でした。 

森アナこの時代は『アンタッチャブル』『華麗なるギャッツビー』などたくさんの映画や小説の背景となっていますよね。」

原元ちなみに、禁酒法で人々が酒場に行くことが減ったため、禁酒法廃止の翌年には、缶ビールが誕生屋外や家でも場所を問わずにビールが飲めるようになったそうです。」

*当時、多くの人が濃縮ぶどうジュースに砂糖や酵母を入れて、発酵させた自家製ワインを飲んでいた

*禁酒法はいささか不十分な法律で酒の醸造・運搬・販売は禁止だが、なぜか購入と飲酒は禁止されていなかった


2001.12.4

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1960年代 交通戦争】40年前・・・車社会の到来です。交通量が増えるとともに全国各地で悲惨な事故も増えました。交通事故による死傷者の数は昭和36年には32万人に達し、「交通戦争」という言葉がニュースに登場するようになりました。「注意一秒けが一生」の標語が生まれたのも、この頃です。

杉上アナ「交通事故による死傷者数ですが、昭和36年には32万人だったのが去年は、116万人なんです!

原元 4倍近いのですか!?それにしても、交通事故や環境汚染など、クルマ社会の抱える問題自体はこの頃とあまり変わってないようですねえ。

*交通事故はなぜか毎週金曜日が一番多く発生するそうですよ。お気をつけ下さい。


2001.12.3

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1965年12月3日 東北の村で炭そ病発生】昭和40年、東北地方のある村で、ある異変暗い陰を落としていました。朝、たちが牛舎から外に連れ出されると、入れ替わりに物々しい格好をした人たちが牛舎の消毒を始めました。絞った牛乳をタンクに入れて運び、捨ててゆきます。このあと、家畜も処分されました。実は、この村の家畜が「炭そ病」にかかっていることが分かったのです。現在、アメリカで問題となっている炭そ菌ですが、もともとは土の中にいる菌で、日本では、昭和初期ごろまで家畜に感染するケースがたびたび見られました。

杉上アナ「こうして感染の拡大を防ぐことはできましたが、収入源をたたれた村の人たちは苦しい生活を強いられたということです。」

原元 「こうした『炭そ病』の家畜への被害は衛生状態が改善されるとともに、日本からは次第に姿を消していきました。

※実際に家畜の炭そ病は今でもたまに見つかりますが、ほとんどない状態。家畜を媒介として人への感染もまれにあります。今は東南アジアやアフリカの衛生状態の悪いところで大量発生することが多い。

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